しゃくしゃな顔をしていた。
彼はどっかと胡坐をかいた。
「茂助が自転車をかりに来たんだが……やはり杉の沼だ。」
杉の沼で、三好屋の花子が溺れ死んでいたのである。鰻の夜釣りに行った平作がそれを見つけた。平作は他の部落の者だが、花子を見知っていた。藻の間に仰向きに浮いて、縮れ毛が顔にかかっていたが、花子だと分った。三好屋に馳けつけて知らせた。八幡様からぬけ出して三好屋で飲んでいる男たちがいて、すぐに助けに出たが、とても駄目だろうとのことだ。
「やはり、狐火なんか、今時は無い。」
宗吉は怒ったように断言した。
間もなく、宗太郎と母がお祭りから帰って来た。下男も帰って来た。みな、花子のことをもう知っていた。然し、事情は分らず、自殺か他殺かも分らなかった。
私と宗吉は、なお遅くまで酒を飲み続けたが、私は遂に、花子から預かってる甲李のことを打ち明けた。宗吉は甲李を一見しようともせず、両腕を組んで考えこみ、それから言った。
「それは、困ったことだ。まあ、私に任せておきなさい。様子を見てからにしましょう。」
花子の姿が私の眼に見えてきた。生きてた時のそれではない。杉の沼に浮かんでる死体だ。あの底深い泥川の、藻草の間に、仰向けになって、足先はだらりと水中に垂れ、両腕は捩れたように痙攣し、胸と腹は水ぶくれにふくらみ、縞柄も分らぬほど汚れた衣服が肌にからみつき、口を開き眼も半眼に開いてる顔には、鏝で縮らした毛髪が乱れ被さっている。ただ醜悪な一塊の肉体に過ぎない。
だが、その醜悪な肉体が、やがてどこかへ運び去られると、その跡に黒い影が立ち上ってくる。淫祀とも言える祠が乗っかってる大きな岩、側に聳え立ってる杉の古木、その全体の背景にまで影は伸び上る。伸び上り拡がり分散して、籔や灌木の陰に潜み込む。潜み込んでじっと何かを窺っている。それは忌わしい死の影だ。
その忌わしい死の影が、あの杉の沼のほとりの闇の中を、うろつき廻っているのである。あの辺の堤防の向うの河原を、私たちは投網の夜打ちに通った。あの頃には、お祭りの太鼓の音がしていた。彼女はまだ生きてたのだろうか、もう死んでたのだろうか。いや、彼女の小さな柳甲李が、今でもそこの押入の隅に転がっている……。
夢とも幻ともつかないものから覚めて、私はその柳甲李を憎んだ。うとうとしては何度も眼を覚まし、柳甲李をしんから憎んだ。
然
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