した。
「許して下さい。わしが悪かったのです。許して下さい。もう決してごちそうをさらったりなんかしませんから。わしはもとからの悪い天狗ではありません。この姿の通り大天狗で、大勢《おおぜい》のからす天狗を家来《けらい》に持って、立派な行いをしていました。ところがわしは、生まれつき鼻がよく利《き》いて、二里四方くらいは何でもかぎわけられるのです。ある時、山の奥から村近くへ出て来ると、人間のこしらえてるごちそうの匂《にお》いがして、それを食いたくてたまらなくなったのです。そして一度盗み食いをしてみると、うまいのうまいくないのって[#「うまいのうまいくないのって」はママ]、もう木の実を食ったり霞《かすみ》を吸ったりしているのが馬鹿らしくて、ごちそう泥坊《どろぼう》になってしまったのです。ところが今あなたに縛られてみると、初めて夢からさめたような心地《ここち》になって、自分の悪いことがしみじみわかりました。これからはつまらない欲なんか起こさないで、山の奥に戻っていって、大天狗《だいてんぐ》に恥じない立派な行いをします。どうぞお慈悲《じひ》に許して下さい。許してさえ下されば、何でもお望み通りにします。一生行いをつつしみます。ほんとに許して下さい。私を村人達の前につき出してもあなたには何のもうけにもならないでしょう。そのかわり私を許して下されば、何でも望み通りのものを差し上げます」
 天狗が泣きながらそう言うのを聞いて、爺《じい》さんはなるほどと考え込みました。天狗を村人達の前につき出したところで、自分の利益には少しもなりません。それよりも、何か素晴らしいものをもらって、許してやった方がましです。その上、天狗はもう一生悪いことをしないと言ってるのです。
「それでは許してやってもよい」と爺さんは言いました。「だが、許すかわりに、この羽うちわをくれるか」
 それには天狗も弱りました。羽うちわがなければ天狗の役目がつとまりません。いろいろ懇願《こんがん》したあげく、二里四方も利《き》くという鼻を譲《ゆず》ってやることに相談がきまりました。
「ただこんな上等の鼻をもらったからといって、欲を出してはいけません」と天狗は言いました。「欲張ったことをすると、鼻を取り上げますから、そのつもりでおいでなさい」
「よいとも」と爺さんは承知しました。
 そこで、大天狗は縄を解《と》いてもらって、羽うちわを拾い上げて、それで爺さんの低い鼻を三度あおぎながら、何か口の中で唱えますと、爺さんの鼻はみるみるうちに高くなって、二里四方のものが何でもかぎ分けられるようになりました。爺《じい》さんがびっくりしてるうちに、天狗《てんぐ》は羽うちわをはたはたとやりながら、宙に飛び上がって、どこともなく立ち去りました。
 爺さんは天狗の鼻をもらって、うれしくてたまりませんでした。夜が明けると、すぐに表へ飛び出しました。村の人達は、大天狗と同じような爺さんの鼻を見て、驚いたの何のじゃありません。そして、猩々爺《しょうじょうじい》さんを今度は天狗爺さんと呼ぶようになりました。

      三

 さて天狗爺さんは、大天狗からもらったまっ赤な高い鼻をうごめかして、自分の貧乏な家にじっと坐っていますと、まあどうでしょう。二里四方のものが何でも、眼に見るようにかぎわけられるではありませんか。どこにどんな花が咲いているかもわかれば、どこにどんなごちそうが出来てるかもわかれば、どこにどんな酒があるかもわかります。爺さんは家にじっと我慢《がまん》してることが出来ませんでした。晩になるとのこのこ出かけていって、村で一番ごちそうのある家へやって行きました。村人達はもう天狗が来ないことを知って、いつもより見事なごちそうをこしらえていたのです。
「今晩は」と言って爺さんは入って行きました。
「やあ天狗爺さんですか。あんたのおかげでこんなごちそうを食べることが出来るようになりました。まあお祝いに食べていって下さい」
 そう言って、どの家でも爺さんをもてなしました。
 爺《じい》さんは大得意でした。それからというものは、昼間はいい香りのする花を取りに出かけ、それを売って大変お金をもうけ、晩になると、立派なごちそうやうまい酒のある家をかぎつけて、そこでたらふく飲み食いしました。いくら飲み食いしたって、たかが老人一人ですから、そうたくさんではありませんので、村人達はいつも快《こころよ》くもてなしてくれました。それにまた爺さんは、村から天狗《てんぐ》を追い払った大恩人ですもの。
 そのうちに爺さんは、花を売ったお金はどしどしたまってくるし、ごちそうや酒にはあきてくるし、何だか退屈《たいくつ》でつまらなくなってきました。この上は何か素晴らしいものが、まだ見たことも聞いたこともないようなものが、どこかにありはすまいか
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