とはぐれてしまって、仕方《しかた》なしにその崖《がけ》下のくさむらに隠れているのでした。何しろ尻尾の先にひどい傷を受けたものですから、魔法の力を失ってしまって、遠い山奥に帰ることも出来ないし、夜になって食物を探しに出かけると、多くの犬に吠《ほ》え立てられるし、寒い晩には尻尾の傷跡《きずあと》が痛んでくるし、どうにも仕方《しかた》がなくなったのです。そして一週間の間、飢えと寒さと痛みとに苦しめられて、崖《がけ》下で震えている所へ、甚兵衛《じんべえ》が通りかかったのを見て、たまらなくなって飛び出したのです。
「お願いですから救って下さい」と悪魔《あくま》の子は地面に頭をすりつけて頼みました。
 なるほどよく見ると、体はやせ細り、尻尾《しっぽ》の先には生々《なまなま》しい傷があって、寒さにぶるぶる震えています。
「俺《おれ》はまだ悪魔を助けたことがないが、どうすればいいのか」と甚兵衛はたずねました。
「なに造作《ぞうさ》もないことです」と悪魔の子は言いました。「あなたの馬は実に立派で、まっ黒な毛並みがつやつやしてるから、私は一目《ひとめ》で好きになってしまいました。それで、その馬の腹をしばらく貸して下さい。長い間ではありません。二月いっぱいまででいいんです。三月になればもうだいぶ暖かになりますし、それまでには尻尾の傷もなおりますから、私は自由に飛び廻れるようになります。それまでの間、私をその馬の腹の中に住まわせて下さい。悪魔の王に誓っても、決して害はいたしません。害をしないどころか、私が腹の中に住んでる間は、あなたの馬を十倍の力にしてあげます。どうぞお願いします」
 それを聞いて、甚兵衛はひどく当惑《とうわく》しました。大事に可愛《かわい》がってる黒馬の腹を、悪魔の宿に貸そうなどとは、夢にも思わないことでした。けれどもそれを断《ことわ》れば、悪魔の子はきっと飢え死にか凍《こご》え死にかするに違いありません。いくら悪魔だからといって、そんなに頼むのを見殺しにも出来ません。その上宿を貸したとて、別に害はしないで、馬の力を十倍にしてくれるというのです。はてどうしたものかと甚兵衛は思案《しあん》にあぐんで、この上は馬と相談の上だと考えて、馬の首をなでながら、どうしたものだろうとたずねてみました。黒馬はその言葉がわかったかどうか、うなずくように頭を振っています。
「馬が承知のようだ
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