前も歩きにくかろうし、寒くもあろうが、まあ辛抱《しんぼう》しなよ。そのかわり、家へ戻ったらうんとごちそうしてやるからな」
馬はその言葉がわかったように、ひひんと一声高くいなないて、しゃんしゃんぱかぱかと、鈴の音《ね》も蹄《ひずめ》の音も勇しく、足を早めに歩き出しました。
そうして、人通りの絶えたたそがれの街道《かいどう》を、とある崖《がけ》の下までやって来た時のことです。崖の裾《すそ》のくさむらの中から、うっすらと積もってる雪の上に、猫くらいの大きさのまっ黒なものが、いきなり飛び出して来て、甚兵衛の前に両手をついて、ぴょこぴょこおじぎをするじゃありませんか。
「馬方《うまかた》の甚兵衛さん、お願いですから、助けて下さい」
初めびっくりした甚兵衛は、話しかけられたのでなおびっくりして、立ち止まってよく見ますと、人間とも猿《さる》ともつかない顔付《かおつき》をし、体のわりには妙にひょろ長い手足の先に、山羊《やぎ》のような蹄《ひずめ》が生えていて、まっ黒な一重《ひとえ》の短い胴着《どうぎ》の裾《すそ》から、小さな尻尾《しっぽ》がのぞいていました。
「おやあ、変な奴だな」と甚兵衛《じんべえ》は言いました。「お前は一体何だい?」
「山の小僧《こぞう》ですよ」
「山の小僧だって?」
その時甚兵衛は、ある書物の中に書いてあった絵を思い出しました。顔が人間と猿の間で、手足の先が山羊《やぎ》のようで、小さな尻尾《しっぽ》があって、まっ黒な胴着をつけてるのが、悪魔《あくま》の姿として絵に書いてあったのです。
「嘘を言うな」と甚兵衛は言いました。「お前は悪魔の子供だろう」
「ええ、悪魔の子供です。山の小僧とも言うんです」
「あはは、悪魔の子供か」と言って甚兵衛は笑い出しました。「悪魔の子供が、何だってこんな所にまごまごしてるんだい?」
そこで悪魔の子は訳を話してきかせました。それによると、この悪魔は、一週間ばかり前の暖かい日に、五六人の仲間と一緒に山から出て来て、田畑の中を駆け廻ったり土の下にもぐったりして、おもしろく遊んでいましたところが、遊びにまぎれてうっかりしてるうちに、一匹の猟犬からふいに尻尾へかみつかれました。ようようのことで猟犬から逃れはしましたが、悪魔に一番大切な尻尾の先を、半分ばかりかみきられて、宙を飛んだり物に化《ば》けたりする術を失ってしまい、その上仲間の者
前へ
次へ
全7ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング