「いい日だ。見てごらん、空が澄んでる。日の光が晴々としてる。」
 彼女は眩しそうに外を眺めて、私の言葉に首肯《うなず》いてみせた。
 初春の空と、初春の外光……。ただ、青いものは室の中の一鉢の万年青《おもと》きりだった。
 万年青の上の方、壁に七福神の卑俗な額が掛っていた。それをぼんやり見ていると、彼女は下手な節廻しで低く歌っている――
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恋じゃなし
情人《いろ》じゃなおなし
ただ何とのう……
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 私が見返すと、彼女はぷつりと歌いやめて、私の視線にしがみついてくる。
「ねえ、いつもあんたの我儘を通してるんだから、今日はあたしの我儘を聞いて頂戴。」
「なんだい。」
「屹度ね。」
「云わない先に、そんな無茶な……。」
「だってさ……。」
 温室のような明るい空気の中に、彼女の顔が花のようになる。その眼附が花弁のように盲《めし》いている。――彼女の皮膚は、場所柄になく非常に細《こま》やかで綺麗だった。
 四五回に一度くらいは、私も彼女の我儘を聞いてやった。だがつまらなかった。その後では淋しくなった。
 長襦袢一つで鏡台の前に坐ってる彼女の顔が、
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