3水準1−92−36]いてるようだった。それがやはり俺には、はがゆくもあったり可笑しくもあった。
 そのうちにどうしたのか、雀の巣は慌てて立上って出ていった。急な用でもあったんだろう。ジプさんは一人で居残った。
 俺は酒でも奢って貰おうと思って、ジプさんの方へ立上っていった。
「大変やりこめられてたようじゃありませんか。」
「うむ。」とジプさんはいつになく考えこんでいた。「どうも彼奴《あいつ》この頃変だ。今日はまたむきになって饒舌り立てた。敵意……僕に向ってじゃない、何かに敵意でも持ってるように、しきりに苛立っていた。平素は温厚な男だが……。」
「どういう人ですか。」
「大変な学者だ。こんど紹介してやろう。図書館に勤めてるが、古今東西の学問に通じてる。片岡……片岡正夫というんだ。」
 ほう……と俺は思った。
 その雀の巣の片岡正夫だった。それが夜の大川端を女を連れて歩いてる……。
 俺は二人をやり過して、その後を見送った。
 女は季節後れの厚ぽったい長いコートを着て、薄いフェルトの草履で、ぽったりぽったり歩いていた。髪を天神髷に結《い》っていた。その襟足がばかに真白だったが、先刻《さっ
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