、考えこんだように足先に眼を落して、ゆっくり通りかかった。あたしは声をかけた。その人は立止って、じっとあたしの方を見ていたが、いきなり大きな声で、ああ君か、と云った。そしてはいってきた。何だか沈んでる様子だった。昼間はここは実につまらない、君がいたんで助かった、昨夜《ゆうべ》の約束の酒だ、とそんな風に一人で云った……。
 それから……いろんなことが思い出された。こんなじゃ今日は駄目だ、とあたしは思った。姉ちゃんがついてくれるのも無理はなかった。あたしは眼が悪い。夕方なんか表がぼんやりする。それを一生懸命に、あの人が来るかと、窓から覗いていて、他のことには一切気が乗らない。駄目な人に声をかけてみたり、物になりそうな人を通りすぎた後で気付いたりする。その日はほんとに閑《ひま》だった。まだ足が続いてる馴染のお客で、やって来そうな人もなかった。
 そしてその晩遅く、あたしは一人でそっと起き上って、煙草を吸いながら、また胸算用をやっていた。もうここの家にも借金は大して残っていないだろう。それと、父の石塔の代の五十円だけだ。それくらい、あの人がどうにかしてくれるだろう。いつまでこうしていたって仕様
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