片岡正夫だ。
 十日ばかり前に一度逢ったきりだったが、俺はその顔とその名前とをよく覚えていた。人の顔や名前を記憶するのは大事な才能だ。
 仲間の者二三人と、浅草の或るカフェーにはいった時、へぼ文士のジプさんが、雀の巣のような頭をした男と酒を飲んでいた。ジプさんというのは内緒の渾名《あだな》で、雑文や批評や小説や戯曲や何でもかでも書きとばし、それを時々どこかにのせて貰い、三十すぎた独身者で、始終市内をうろつき、公娼でも私娼でも女給でも、相手は構わないが決して一人に馴染まない、凡ての点に於て僕は天下のジプシーだと自称してる、そこから来たのだった。
 俺は一寸挨拶したが、ジプさんは相手と何か議論していて、大して注意を向けなかった。その隣りの卓子があいていたので、俺達はそこに、ジプさんの後ろに坐った。
 珈琲をのんでるうちに、ジプさんの方の話がちょいちょい俺の耳にはいった。雀の巣の方は、声は低かったがきつい調子で、盛んに論じ立ててジプさんをやりこめてるらしかった。――原始人の遊牧的な生活は、楽しい生活ではなかったに違いない。彼等は淋しく悲しかった筈だ。――男はいつも誰かに恋してるがいいのだ。恋されることはどうでもいいが、恋することが大事だ。そこから生活の張りが出てくる。――魂ぬきの肉体だけを売って生活してる女がいる。それが一番悲惨な生活だ。――物に拘泥するのはいけないが、何物にも拘泥しないのはなおいけない。――具象から抽象になってゆくこともあるが、本当に物を感ずる時には、抽象から具象になってゆくものだ。――室の中にいて女を思うのは一種の情慾だが、外を歩いていてもその女のことを思うようになった時には、本当の愛だ。――環境の中に個体を見ることも必要だが、環境を離れて個体を見ることはなお必要だ。――其他いろんなことを俺は聞きかじった。ショペンハウエルとかベルグソンとかトルストイとかいう名前も出て来た。それに対してジプさんはただ、時々冗談まじりの弱々しい応酬をしてるきりだった。そんな道徳の教科書みたいな言葉に、ジプさんがどうしてそう凹まされてるか、俺にははがゆくもあったり可笑《おか》しくもあった。
 けれど、雀の巣の様子も変だった。浅黒い顔を輝かし、眼を光らして、強い調子で饒舌っていたが、その底に何だか、今にも泣き出しそうなものが見えていた。心の落付を失って※[#「足へん+宛」、第
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