た方がいい、思いきって泥濘の中を覗きこむ時、本当に清純な反抗心が起るものだと、その議論になって、そのうちいつしか二人別れ別れになり、私は家に戻ってしまいました。
 翌日、宿酔の気味で、私はぼんやりしていました。鼻のつんと高い口許のしまった、インテリめいた女給の顔が、思いがけなく頭に浮んできたり、心の底に、ちらちらと、捉え難い火花が閃めいたり、もう息をするのも嫌なような、深い憂愁に沈んだり……なんだか自分で自分が分らなくなっていますと、午すぎに、小野さんから電話です。はっとして、急いで立っていきますと、電話の主はトキエで、子供が病気だからすぐに来てくれと……。
 行ってみると、トキエはいつもの落着いた様子で、すみませんと、笑顔をしています。だが、子供は九度以上の高熱で、かっとほてって、そして水分の乏しいようなしなび方をして、昏々と眠り、時々手足の筋肉を、ぴくりぴくりさしています。前々日の晩から熱が出て、乳ものまず、肺炎らしいとのことでした。私はそれを、胸にぎゅっと抱きしめたい衝動にかられました。胸に裸のまま抱きしめて、この自分の身体でもって、あらゆるものから防護してやりたいのです……。

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