せん。
 そういうわけで、私は小説を読んでぎくりとして、一体作者は誰だろうかと物色してみました。第一は窓、次に窓の見える縁側、次に女文字、その三つを集めて考えてみると、通りを挾んだ向うの家の娘に違いありません。
 ところが、その小説を受取った時には、その向う側の家には、四十年配の夫婦者と十二三歳以下の子供達と女中きりなんです。而も一週間ばかり前に越してきたのです。そしてその前には、四五ヶ月ばかり、浜野という会社員が住んでいまして、そこにハイカラな娘が一人いました。
 小説を書いてよこしたのは、その浜野の娘だと私は察しました。そこで私は、この処置を一体どうしたらよいものかと、考えあぐみました。ピストルの件は拵えものにしろ、私が夜更けた室の中をぐるぐる歩き廻ったのが、彼女に何か悪い印象を与えたことは事実に違いありません。さもなければ、それほど念入りの悪戯をされるわけはないんですから。或は、遠廻しの忠告かも知れないなどと、私は虫のいいことまで考えました。そして一度彼女に逢って、何とか詫びを云いたいと思いました。けれども、彼女の一家がどこへ越していったのか、はっきりしたところが分りませんでした
前へ 次へ
全14ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング