……引金が引けない。なぜだろう……なぜだろう……。
私はピストルを放り出して、其処に泣き伏してしまった。
……小説というのは、それだけの筋でした。勿論、私が今お話したのよりは、もっと下手なたどたどしい筆付でしたが、それでも、私はそれを読んでぎくりとしたのです。小説の中に書かれてる青年は、私自身じゃありませんか。
その頃は、私は友人達が山や海へ避暑に出かけた中を、一人東京に残って、或る長篇を書いていました。朝遅くまで寝ていて、午後は友人もいないので大抵昼寝をして、夕方散歩に出て、夜遅く仕事をしていたのです。ところが、素人下宿の二階に住ってるものですから、夜更けに外へ出ることは遠慮されて、筆が渋ってくると、いつも室の中を歩き廻ったものです。それが初めての長篇なものですから、どうもうまく書けなくて、殆んど毎夜の習慣のようになっていました。その上夜遅く、あたりが寝静ってる中に、一人で室の中を歩き廻ることは、何とも云えない気持なものです。昼と夜との違いはありますが、動物園の虎が檻の中をぐるぐる歩いてる気持に、私はよく同感が出来る気がします。私もよそから見たら、その虎と同じだったに違いありま
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