あの原稿をつきつけてやったら、彼女は何と云うだろう……そんなことを……笑わないで下さい……私はいろいろ空想に耽って、一人で微笑んでいました。
その空想からさめた時、汽車はもう新橋まで来てしまっていました。私は汽車から降りました。東京駅までだったのですが、空想からさめた咄嗟の考えで、彼女の電車を待つことにしたです。
その電車がなかなか来ませんでした。そしてさんざん待ちあぐんだ後、漸く電車が来て、胸を躍らせながら、赤切符もかまわずに、二等車に乗り込んでみると、もう彼女の姿はどこにも見当りません。私は馬鹿だったのです。大森か品川あたりで乗換えればよかったのです。それを下らない空想に耽ったばかりに、大事な機会を遁してしまいました。
それ以来私は、東京桜木町間の電車には、どんなに懐の淋しい折でも、必ず二等に乗ることにしています。
高木は息をついて、一息ぐっと飲み干して変に憂欝そうに口を噤んでしまった。
「それじゃ……何だね、君はその女に恋でもしたというのかい。」
「恋じゃあないんです。」と高木は真面目に答えた。「ただ、一目逢って話してみたいんです。ちらと見た彼女の顔が、変に忘れられない
前へ
次へ
全14ページ中13ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング