ていた。すると青年は、室の中をぐるぐる、いつまでも同じように歩き続けている。いつまでも、いつまでも、歩き続けている。
 とうとう自分の方が根気負けがして、そっと戸を閉めて床にはった。けれども、眼が冴えて眠れなかった。あの人は何をしてるんだろう……と、そんなことが頭に絡みついて、夢現の中にまで考えられた。
 それから長くたってから、私はまた起き上って、雨戸を開けて覗いてみた。すると向うの窓の中の人は、まだ同じように室の中をぐるぐる歩き廻っていた。いつまで見ていてもきりがない。で私はまた寝てしまった。
 そんなことがあってから、私は向うの二階の人に、それとなく注意を配った。二十二三歳の、髪の長い、顔の蒼白い、痩せた神経質な人で、学校に行ってるのでもなく、昼間は大抵室の中に寝転んでるらしく、夕方になってどこへか出かけてゆく。そしていつ帰るともなく、恐らくは夜遅くだろうが帰ってきて、それから、机に向って勉強をしている。そして夜の一時二時頃になると、大抵いつも、檻の中の虎みたいに、室の中をぐるぐる歩き続ける。一時間も二時間も、恐らくは夜明け頃まで、同じようにぐるぐる歩き続けている。そして朝は十時頃まで雨戸がしまっている。
 不思議な人があるもんだ……と私は考えた。だけならいいけれど、夜更けの室の中をいつまでも歩き続けてることが、妙に私の気にかかり初めた。私は度々夜中に眼を覚すようになった。眼を覚すと縁側の戸を開けて、向うを覗かずにはいられない。覗いてみて、向うの窓の戸が閉ってるか、人影が見えないかすると、私はほっと安心する。けれど、大抵はやはり、檻の中の虎みたいなその人の姿が見える。顔付は分らないけれど、髪をくしゃくしゃに乱して腕を組んだり頭を振ったりしているところを見ると、多分眉根に深い八の字を寄せて、怒った恐ろしい顔をしてるに違いない。そしていつまでもいつまでもぐるぐる歩き廻っている。……。
 それがだんだん私の気にかかって来て、私は夜もよく眠れないようになった。そしていつしか神経衰弱になりかかった。気分が始終苛立って、そのくせ、すぐに涙が出たり大声に笑いたくなったりする。
 そして或る夜、私はもう我慢が出来なくなって、父の書斎からピストルを盗み出してきた。縁側の雨戸を開いて見ると、やはり向うの窓の中に、あの人がぐるぐる歩き廻っている。私はそれに向ってピストルを狙った。が
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