。」
「もし信子さんが、君の手に戻りたいと云ったら、君は許してやるか。」
「今はその力が僕にはないような気がする。然しやがて許し得ると思う。」
「僕達は互に愛したのだ。」
「知っている。」
「君は先夜のことを覚えているのか。」
「覚えている。」
「あの言葉を取り消し給え。」
「僕は、あの言葉は云うべきものではなかったと考えている。然し、あれを取消しても消さなくても、結局同じことのような気がする。」
「なるほど君の云いそうなことだ。あの言葉で僕の心に烙印をおして、僕の心の傷を一層大きくして、それで復讐するつもりだろう。」
「何を云うんだ君は。」
「そして一方では、あの言葉から遡って、信子さんの罪を安価に見積ろうとするんだろう。」
「おい、低い声で云ってくれ給え。皆眠ってるんだ。」
「二人に聞かれるのが恐ろしいのか。」
「木下、君はどうしてそう悪魔のような物の云い方をするのか?」
「そして君は、神のような物の云い方をしてるというんだろう!」
二人は黙り込んだ。互の間に越え難い溝渠があるのを、二人共感じた。……啓介の性格は、より強くてまたより退守的であった。木下の性格は、より弱くてまたより
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