やがて停滞した容態に打ち勝って、回復の曙光を暗示するものであった。その回復の曙光が、木下の方へぬけ出んとする彼女の行手を遮った。また木下の姿が、啓介の回復を通じて未来へぬけ出んとする彼女の行手を遮った。何れへ向っても、堅い鉄の扉が前方を塞いでいた。迂路を取ることの出来ない直線的な彼女は、眼をつぶってその扉にぶっつかっていった。冷い戦慄が全身に流れた。現在の直接印象に強く支配せらるる彼女は、前後を通観する批判の眼を持たなかった[#「持たなかった」は底本では「持たなった」]。彼女は出来るだけ、木下と二人きりになるのを避けた、啓介と二人きりになるのを避けた。
一人でじっとしていると、いつのまにか考えは切端《せっぱ》つまった所へ落ち込んでいった。真直に眼を挙げるのが恐ろしかった。伏目がちの横目で、じろじろあたりを見廻した。家の内外は、平素と少しも異らなかった。六畳の室には、茶箪笥の上にいつもの通り茶器や菓子盆が並んでいた。画室には見馴れた繪がずらりと懸っていた。裏口には、洗濯盥が転がっていた。啓介の敷布や木下の襯衣などが物干竿にぶら下っていた。日が照ったり陰ったりした。三畳には婆やの所持品や
前へ
次へ
全106ページ中79ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング