啓介は静に身体を動かした。寝返りをしてみたり、仰向に寝てみたりした。動く度毎に、手足の指先まで、細かい神経の網の目が眼覚めてゆくのを感じた。
「僕はどの位眠っていました?」と彼は看護婦に尋ねた。
「一昨日《おととい》の晩からですわ。」
「一昨日の晩から!」と彼は口の中でくり返した。然し時の観念がぼやけていた。同じように連続した時間のみが存在していた。ただ大きな空虚が、大きな中断が、眠りのうらに過しただだ白いものが、ぽかりと口を開いていた。その中に怪しげな姿がつっ立ってくるようだった。彼はそれから眼をそむけた。遠くが見えてきた。青い空、広い野原、静まり返って並んでいる木立、何ものをも肯定する生の息吹き……。彼は大きく息をした。肺尖のあたりがきりきりと痛んで、痰が喉にからまった。彼は顔を渋めた。看護婦が痰吐を取ってくれた。痰を吐き出してしまうと、胸が軽くなった。
木下が室にはいって来た。
「よく眠ったね。」
「ああ。」
それきり黙ってしまった。
彼は木下の全身に対して、訳の分らない反撥を覚えた。長い髪の毛、黒い光りを放ってる眼、先の太い手指、だぶだぶに拡ってるメリヤスの襯衣の袖口、そ
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