雅子と河村とが立ち去ると、木下と信子とは顔を見合った。二人共固くなっていた。信子は下唇をかみしめた。彼等は一言も言葉を交さずに、そのまま病室へ戻っていった。啓介は眠っていた。
その晩、信子は夜通し病人の側に起きていた。
十二
啓介は昏々として眠り続けた。朝になって、本田医学士が見舞って来た前後、彼は二時間ばかり眼を開いていた。それからまた眠った。圧倒し来る魔睡に対して、別に抵抗しようともしなかった。夢幻的な灰白色の眠りに彼は身を任した。
午後になって、雅子は女中の近を連れてやって来た。病人の横に淋しい顔をして端坐しながら、彼女は木下に云った。「昨晩私はどんなに気を揉みましたことでしょう。じっと坐っていると堪《たま》らない気持になってきます。けれども、主人がむつかしい顔をして黙っているものですから、立ち上ることも出来ませんでした。へたに身体を動かしたり、へたな口を利いたりしますと、それが悪い前兆《しらせ》になりそうな気が致しますのです。けれどもお電話がかかって来た時、私はほっと安心致しました。どんなにお待ちしていたか知れません。十二時頃だったでございますね。お言葉を主
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