。中の様子に慌しい一瞥を投げると、そのまま軽く頭を下げて、つと身を飜しながら、啓介の病床の側まで歩いてゆき、其処にがくりと膝を折って坐った。啓介は徐ろに視線を移して、母の顔を一目見たが、ちらと瞬きをして、眼を外らした。
「啓介さん、私ですよ! 私が……。」雅子は声を喉につまらした。いきなり両手を顔に持っていって、その掌に顔を埋めた。室の中がしいんとなった。
「お母さん!」と啓介は低い声で囁くように云った。眼をつぶっていた。
落入るような沈黙が続いた。雅子はやがて、小さなハンケチを取出して、眼を拭いた。それから啓介の病床の裾の方を向いて、低く頭を下げ、誰にともなく云った。
「種々御世話様になりまして……。」
信子は益々低く頭を垂れて、襟に顔を埋めていた。木下はその様子を一寸顧みた。火鉢の上に身を屈めて、炭火をいじり初めた。よく熾った火を高く積み上げては、またそれを壊した。しまいには火箸の先で灰をかき廻した。
河村は病人の枕頭に廻って、容態表を覗き込んだ。
「なるほど、余りよくないね。」
雅子は床の間の机の上に並んでいる薬瓶に視線を据えていた。河村の言葉を聞くと急に眼を伏せた。
「
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