立寄ること、そしてその頃病人の母にも来て貰うこと、なるべく多く口を利かせないこと。「痙攣はもう来ますまいが、余り精神に激動を与えて、ひどい脳症でも起されると困りますからね。」
「あれで、病気が癒っても精神が変になることはありますまいか。」
「なあに、それほど心配するには及びません。」
 木下は涙ぐんでいた。彼は、落付いた親切な医学士を、しみじみと感謝の念で見上げた。本田は立ち上った。室の中に懸っている絵を一巡見廻わした。それから、黙って出て行った。木下は急に深い淋しさに襲われた。無関心に眺められた自分の製作を、彼はじっと見やった。室の隅に裏返しに立てかけてある画面が眼にはいった。赤く塗りつぶした樫の絵だった。彼は云い知れぬ衝動を受けた。いきなりカンヴァスを取り外して、ずたずたに引き裂いた。
 彼は狼狽してる自分を見出した。じっとして居れなかった。画室から飛び出してすぐ病室に行った。信子と看護婦とが、同時に彼の顔を見上げた。彼は荒々しい顔付で、啓介の上に身を屈めた。
「お母さんを呼んできてあげるから、待っていてくれ給え。大丈夫だ。医者は君の容態は心配ないと云っていた。」
 啓介は眼付でう
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