。これが少し拡がり出すと困難ですがね。……もし御心配なら、私の病院の院長に診て貰われたら如何です?」
「いえ、別にそういうわけではありませんが、実は、病人が母に逢いたがってるものですから。」
「ではすぐに呼んだらいいじゃありませんか。遠いのですか。」
「上野です。」
「上野! どうして今まで呼ばなかったのです?」
 木下は事情を話さなければならなかった。彼は手短かに、信子の恋愛事件から両親との衝突を物語った。
「分りました、」と本田は云った、「そうですか、私も何だか変だとは思っていましたが。……そして何時から病人は母に逢いたがっています?」
「今朝からです。」
「今朝から?」
 本田は何か考え込んで、煙草を取り出して火をつけた。そして云った。
「別に障りはしますまい。逢わしたらいいでしょう。……然し前から、非常に精神が興奮してるようですね。」
「ええ、他に事情もあったものですから。」と答えて木下は頭を垂れた。
「なるべく静にさして置かなければいけませんね。」
 二人は暫く黙っていた。
「では兎に角こうしましょう。」と本田は云った。彼は三時頃病院の用がすむので、その帰りにいつもより早めに
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