十

 軽い痙攣が明け方にも一度啓介を襲った。
 熱は比較的低かった、三十八度四分にすぎなかった。然し脈搏が非常に不整で百二十五を上下した。呼吸も同じく不整だった。喉の奥で痰を絡んだ荒い呼吸になったり、小鼻を脹らましてすーっと引く弱い呼吸になったりした。
 雨戸を開けると、外は明るくなっていた。風が止んで空が綺麗に晴れていた。清らかな空気が隙間から室内に流れ込んできた。啓介は眼を開いて、側に来るように木下に相図をした。
「母に逢いたい。」と彼は云った。
「呼んで来て上げる。少し待ち給え。」と木下は答えた。
 八時頃本田医学士が婆やの迎いで見舞って来た。彼は容態表を見ながら云った。
「ほう、どうかしましたか。」
 誰も答えなかった。
 診察を済すと彼は、ヂガーレン注射を日に八回行うように看護婦に命じた。それから頓服薬の処方を書いた。
 本田が辞し去る時、木下は彼を画室に呼び込んだ。
「容態は如何でしょうか。」と木下は急き込んで尋ねた。
「なに今のままなら危険というほどでもありますまい。脈搏がわりにしっかりしていますから。勿論その方の手当はしていますが。肺炎の方は以前と同じ状態です
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