の隅を見つめていた。二人がはいって来ても彼は視線を動かさなかった。
 木下は妙にかしこまって坐った。
「どうかしたのか。」と暫くして木下は尋ねた。
 啓介はあたりを見廻した。
「いや、君に話したいことがあったが、後でもいい。」
「そんなら今云ってくれ給い。どんなことでも構わない。今丁度いいから。」
 木下の方が妙に急《せ》き込んでいた。彼は身を乗り出して、啓介の顔を覗き込んだ。
 風につれて遠く汽笛の音が響いてきた。啓介は俄に眼を見据えた。
「木下!」と彼は云った。それから室の中にぐるりと視線を動かした。「尾野さん、一寸外の室に行っててくれませんか。」
「じゃあ僕の室に行ってて下さい。」と木下は云った。
 看護婦が室から出て行くと、啓介は俄に荒々しい様子に変った。落ち凹んだ眼が上目勝ちに据っていた。呼吸の度に小鼻が脹れ上っていた。頬がこけて妙に大きく見える頤には、粗らな髯がかさかさに乾いていた。
「僕は死ぬかも知れない。」と彼は云った。調子は落付いていたが、或る圧倒し来る力に押し出されるような響きがこもっていた。彼はくり返した。「僕は死ぬかも知れない。それで、その場合のために用意をして
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