彼は彼女の冷たい掌に自分の手を与えながら、一種の戦慄を感じた。以前愛のうちに自分と一つに溶け合った彼女、自分の一部であった彼女、――今自分の手を握りながら石のように固くなってる彼女。彼は、彼女が恐れているのを見た、恐れて看護婦を呼び起したく思いながら、敢てなし得ないでいるのを見た。彼は苛ら立ってきた。彼女が恐れて震えているのが感じられた。……そしてそのまま彼は手を任せ彼女はその手を握っていた。
 夜が明けて、信子が一寸室から出て行った時、啓介は起き上ろうとした。高子がそれを引止めた。木下がやって来た。啓介は耻しくなった。おとなしく頭を枕につけて、眼をつぶった。すると凡てが、何とも知れない凡てが、行きづまってしまった。行きづまった心で彼は、薬を飲んだ、重湯と牛乳とを飲んだ、注射を受けた。ただ一つの場合が、死という一つの場合が、あるがままの現在のうちに口を開いていた。彼はその場合のことに考えを集めた。
 生きるということは問題ではなかった。毎日同じような昼と夜、日々の区別さえもつかない一様な時の連続、張りきった限定された明るみ、――病室の空気のみが彼を囚えていた。それが彼にとっては生
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