れませんか。」
看護婦は立って来て痰吐を覗いた。痰が二つ浮いてるきりだった。彼女は一寸病人の顔色を窺って、それから素直に、痰吐を持って室を出て行った。
看護婦の戻って来るのが、啓介には大変長く思われた。彼は苛ら立ちながら待っていた。何の音もしなかった。病室の中が妙に明るくなって、その中に閉じ込められた自分の姿がまざまざと見出された。病室の外は広茫とした薄闇だった。薄闇の中に何かの影が次第に見えて来た。信子が居るようだった。木下が居るようだった。看護婦と婆やとが居るようだった。
後はそっと蒲団の外に身体をずらし初めた。腰から下が石のように重かった。漸く足先が畳に触れると俄に力が出てきた。両手で蒲団をはねのけ、床柱につかまって立ち上ろうとした。手足ががくりと撓んで其処に倒れてしまった。そしてそのまま、畳の上を徐々に匐い出した。眼の奥が暗くなってきた……。
看護婦が戻って来ると、蒲団の外にぬけ出して長く身を横たえてる啓介の姿を見出した。彼女は叫び声を上げた。信子が馳けつけて来た。執拗に眼を閉じている彼を、再び寝床に連れ戻さなければならなかった。
木下がやって来ると、彼は静に眼を開い
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