は静かだった。病室の空気は快く温って濡っていた。
「君は早く癒らなけりゃいけない!」と木下は思い込んだように云った。
「うむ、癒るよ。屹度癒ってみせる。」
「君が健康に復したら、僕はいろいろ君に話すこともある。」
「僕だってあるさ。君の議論に凹まされはしないよ。」
木下は口を噤んだ。啓介も口を噤んだ。彼は木下の気分に自分の気分を合せることを好んだ。
然し、一寸用を思い出したからと云って木下が立ち去ると、啓介は突然不安に襲われた。室の中を見廻すと、看護婦が一人ぽつねんと炬燵にあたっていた。信子の赤いメリンスの風呂敷が本箱の上にのっていた。夜眠る時電灯を遠くに引き吊る紐が、割目のはいった柱に下っていた。
彼は耳を澄した。何の物音も話声もしなかった。不安は焦燥の念に変っていった。次の室との間の襖が、こつこつと軽く叩かれてるような気がした。襖を見つめると、またしいんとなった。襖の向うに測り知られぬ広い世界があった。その世界が真暗だった。何にも見えなかった。木下と信子とがその何処かに居る筈だった。二人は何か親しげに話をしていた……。
「尾野さん、」と彼は看護婦を呼んだ、「痰吐を空けて来てく
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