ことを頼んだ。婆やが出て行くと、彼女は書物を投り出して、またぼんやり夢想に沈んだ。
暫くして彼女は立ち上った。画室を出て病室の方へ行った。啓介は眠っていた。看護婦は雑誌を読んでいた。彼女は一寸次の室に坐って、火鉢に炭をついだ。それからまた画室に戻って来た。椅子の上に身を落付けると、前夜の睡眠不足のために、胸の奥がかすかに痛むようで、頭が妙にほてっていた。足の先が冷えきってゆくようなのをじっと我慢《がまん》していると、幻とも夢ともつかないもののうちに意識が茫としてきた。……彼女は木下が帰って来たのを殆んど知らなかった。
木下は信子の姿を見て、驚いて立ち止った。それから室を出て行こうとした。その時信子は、木下の姿を見て更に驚いて、俄に立ち上った。椅子が倒れた。その大きな音が二人を我に返らした。
「お帰りなさい。」と信子は云った。
木下は扉を閉めて室の中にやって来た。
「何をしていたんです?」と彼は云った。その声は震えを帯びていた。
「この絵を見ていましたの。」と彼女は落付いた声で答えながら、前の画面にまた眼をやった。
「私はもうそれを思い切ってしまいました。」と木下は云った。「いつま
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