下彫のように浮出していたが、作意は少しも現われていなかった。枯死そのものを表現すべき色彩の下から、一種の明るい気分が浮き上っていた。遠景の空は、一色の黝ずんだ灰色に手荒く塗りつぶされて、処々にカンヴァスの布目が覗き出していた。其処から糊塗しきれない空虚の感が、画面全体に漂っていた。何時までたっても出来上りそうに思えなかった。木下は長い髪の毛をかき上げるようにして、片手で頭を押えじっと画面を見入った。
やがて彼は立ち上って、壁に懸ってる自分の作を一々見て歩いた。室の中は薄暗かった。彼は顧みて、暮れなやんでいる明るみの中の細かい雨脚を、窓から透し見た。それからまた樫の絵の前に戻ってきて、椅子に腰を落しながら、首垂《うなだ》れて考え込んだ。
その時、信子がそっと扉を開いてはいって来た。彼女は、振り向いた木下に我知らず微笑みかけた笑顔をそのままにして、尋ねた。
「お邪魔ではなくって?」
「いいえ、ちっとも。」と木下は答えた。
信子は真直に窓の所へ行った。細かい雨が降り続いていた。彼女は首をすくめた。それから煖炉の所へ戻って来た。火が消えかかっていた。彼女は薪と石炭とを投り込んだ。
「この
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