り快いものではない。出来上ってから見せてくれ給え。……それが出来上ったら、君に描いて貰いたいと思ってるものもあるから。」
「何だ、それは。」
 啓介は口を噤んで何とも答えなかった。

     三

 家は、画室を除いて三室きりなかった。啓介と信子とが飛び込んで来るようにして同居してからは、自然に玄関の土間の横の三畳が婆やの室となり、奥の八畳が啓介と信子との室となり、廊下と壁とを距てた六畳が、木下の居室兼皆の食堂となってしまった。啓介が病気になってからも、ただ奥の八畳が病室に代ったきりで、何等の変化も起らなかった。
 食事の時には、婆やが啓介の所についていて(勿論彼の容態が悪い時だけ)、木下と信子と看護婦と三人は、一緒に六畳で食事をした。啓介もそれを望んだし、それの方が台所の用には便宜だった。木下はその時々の気分によって、食事中黙りこくっている時もあれば、盛んに種々なことを饒舌る時もあった。看護婦はそれを木下さんの「曇り」或は「晴れ」と呼んだ。
 婆やの仕事の一部分は、いつのまにか信子が引受けてしまっていた。彼女はそれを、より丁寧に、より細心な注意で、やってのけた。彼女は木下の着物を畳
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