いつも、なんか……やさしい匂いがしてたよ。」
「おっぱいの匂いだろう。」
「ちがうよ。僕はもうお乳なんかのまないよ。」
「パパはどんな匂いがするんだい。」
「パパには、匂いなんかないさ。」
「君には。」
「ないよ、男だもの。」
「すると、男には匂いがなくて、女にはあるのかい。」
「みんなかどうか、知らないよ。」
 正夫は不機嫌に黙りこんでしまった。そしてまたメダカをつっつき始めた。
「やっぱり、君は一人ぼっちで淋しいんだね、そして大勢兄弟のあるメダカがうらやましいんだね。」
「ちがうよ、こんな兄弟なら、僕にだって、世界中にあるよ。」
「世界中に兄弟があるのかい。」
「あるさ、兄さんも弟も、姉さんも妹も、世界中にあるよ。」
「そして、パパもママもかい。」
「……ばかだね、君は。」
 正夫に叱られて、おれは愉快になった。茶の間の方をのぞくと、山根さんはまだマニキュアをやっている。おれは諦めて[#「諦めて」は底本では「締めて」]、口笛をふきながら立去っていった。

     三

 その夕方、おれは南さんを千疋屋の二階に見出した。思った通りだ。いや思ってた以上に、南さんは晴れ晴れとしていた。
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