す。中心の心棒みたいなものが、精神か感情かの心棒みたいなものが、なくなってるんです。そして身の持ち方の、しめくくりというか、垣根というか、そうしたものがなくなって、埓をふみ越してしまうんです。一本か二本だけ飲もうと、そう思っていると、つい酔うまで飲んでしまって、そしてあちこち飲み歩いて、とんでもないことをしでかすんです。うちあけて云います。僕は家を空けたことはありませんが、売笑婦を買うこともあれば、みずてん芸者を買うこともあります。許して下さい。どうにも仕様がないんです。然し、信じて下さい、これだけは信じて下さい、愛してる女なんか一人もないんです。」
 山根さんは、眉をしかめもしなければ、微笑みもしないで、南さんを抱きかかえたまま、考え深そうな眼を伏せていた。そしてほっと溜息をついた。
「では、いったい、あなたには何が必要なんでしょうね。」
「それです、それです、何が心要なのか、自分でも分らないんです。ねえ、山根さん……どうしたら……。」
 彼は駄々っ児のように山根さんをゆすったので、山根さんは倒れかけようとして、それをもちこたえた拍子に、異様な笑みをちらと浮べた。
「必要なのは、奥さんでしょうか。」
「いえ、ちがう、ちがいます。」
「では……恋愛でしょうか。」
「ちがいます……。」
「それでは……。」
 山根さんの眼が、大きくなって、慈愛……めいた色を浮べて、じっと空《くう》を見つめた。
「一口に云えば、心とでも云うようなものでしょうか。」
 いけないなあ、とおれは思った。そして南さんの返事のないのに乗じて、おれはちょっと山根さんに……囁いてやった。山根さんの顔には苦悩の色が現われた。そして云った。
「だけど、空想に走ってはいけませんよ。しっかりしなければいけませんよ。あなたにはそれが出来ます。空《くう》なものよりも、実《み》のあるものを掴まなければいけません。それまでには、いろんな幻滅を経なければなりません。あなたは、それに堪えることが出来る筈ですよ。あなたがすっかり打明けて下すったから、わたしもすっかり打明けてお話しましょう。わたしは……あなたを愛してるかどうか、自分でも疑っていますの。いえ、愛してはおりません。」
 南さんは顔をあげて、山根さんの眼をのぞきこんだ。が山根さんは、顔色も眼色も動かさず、蝋のようだった。その声も無感情なものだった。
「あなたとわた
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