と怒りとで心が顛倒した。
「己《おのれ》、逃さねえぞ!」
 叫んだのが声に出たかどうか、自分では知らなかった。いきなりつる[#「つる」に傍点]に飛びかかって、左脇にその首根をはさみつけ、右手で身を防ぐ構えをした。が平吉は一散に逃げ出した。彼はその後から投げつけてやるために、身を屈めて石塊か土塊かを探したが、あたりに見当らなかった。その身を屈める拍子に、小脇のつる[#「つる」に傍点]が声を立てずにびくりびくりと全身で震えるのを、なおぎゅっと腕に力を籠めた。そしてそのまま、ぶるぶるっと水からもぐり出る様な気味で、身を起しながらつっ立った。
 一面に月の光りが流れてるきりで、見渡す限りひっそりとしていた。
「おつる[#「つる」に傍点]坊、もう逃しはしねえぞ!」
 独語の調子でそう云って、久七はつる[#「つる」に傍点]を引きずりながら歩き出した。つる[#「つる」に傍点]の草履が足先からぬけ落ちて、其処に残った。
 彼は熱に浮かされた眼を見据えながら、家の前まで辿りついた。表戸をがらりと引開けて、小脇のつる[#「つる」に傍点]を突き入れた。
「へえれよ。」
 だが、彼女は土間にばたりとぶっ倒れた
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