道連
豊島与志雄

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)形態《えたい》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)丁度|丑時参《うしのときまい》り

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)小説2[#「2」はローマ数字、1−13−22]
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 君は夜道をしたことがあるかね。……なに、都会の夜道なら少しくらいって、馬鹿なことを云っちゃいけない。街灯が至る所に明るくともっていて、寝静まってるとは云え人間の息吹きが空気に籠っていて、酔っ払いや泥坊や警官や犬や猫などがうろついてる、都会の街路を夜更けに歩いたからって、それで夜道をしたと云えるものかね。僕の云うのは、そんななまやさしいんじゃない。見渡す限り山や野や畠ばかりで、何里という間人家もなく、猫の子一匹いないという、しいんとした淋しい片田舎の夜道を、たった一人でとぼとぼ歩くことなんだ。都会にばかりいる君なんかには分るまいが、田舎の夜ほどしいんとしたものはない。全く物音一つしないんだ。その上、闇の夜ときたら、それこそ鼻をつままれても分らないくらい真暗だし、月の夜ときたら、眼の届く限り煌々と見渡せるし、また星の夜には、空の星々が無気味にぎらぎら輝いてるんだ。そして何より恐ろしいのは、形あるもの、見馴れたもの、凡て人間に親しみを持ってるものが、すっかり影をひそめてしまって、形のない見馴れない奇怪なものが、しいんとした中にそこらにうろつき廻ってるという、ぞっとするような感じなんだ。……がまあそんな説明はどうでもいい。僕が実際に経験したことを少しばかり話してきかせよう。面白かったら聞くがいいし、面白くなかったら居眠りでもし給いな。どうせ君なんかには本当のところは分るまいから。……がまず、煙草でも一服吸ってからだ。

      一

 僕が高等小学校の一年の時だった。その頃は今のように、尋常小学が六年でその上に二ヶ年の高等科がついてるという、そんな制度ではなくて、尋常小学は四ヶ年だけで、その尋常小学を幾つか総括した上に、やはり四ヶ年の高等小学があった。で田舎では、尋常小学校は各村にあったが、高等小学校はごく少く、例えば一町六ヶ村に一つという風に、中心地の町にあるのだった。だから僕は、尋常小学を終えて高等小学にはいると、自分の家から一里の道をその町まで通わねばならなかった。その第一年目の秋のことだ。
 学校で遠足があった。町から二里ばかり離れた山に……山と云っても七八百尺の山だが、それに登山をして、尾根伝いにも一つの山まで行って、それで帰ってくるのだったが、朝のうち深い霧で晴雨のほども分らなかったものだから、出発が二時間も遅れたし、山の上でぐずついてたりしたので、学校に帰って来た時はもう日が暮れていた。勿論初めから早く帰れるつもりではなかったらしい。帰りは遅くなるかも知れないから、近くの人はよろしいが、遠くの人は参加しなくともよい、しいて参加したいという者は、若し遅くなった場合には、町の親戚に泊ってゆくか、または学校に泊ってゆくか、それだけのことを両親と相談しておいでなさい、というようなことを前から云い渡されていた。随分乱暴な話ではあるが、昔の学校はそういう風なやり方だったのだ。それで僕は、村の同窓生達がみな休んだのに、一人頑張って出ていって、帰りが後れたら町の親戚に泊ってゆくつもりで、実際前の晩もその親戚に泊って、朝早く出かけたのだった。
 所で、果して遠足の帰りには日が暮れてしまった。教師は生徒達を学校の運動場に整列さして、その疲れきった顔に一々提灯の火をさしつけながら、家の遠い者があると、学校に泊るかそれとも町のどこかに泊るかと、裁判官のような調子で尋ねていった。それが僕の番になった時、どこそこの何という親戚に泊ってゆくということを、僕は元気よく答えてやった。
 それから解散になって、僕は真直に親戚の家へ行きかけたが、どういうものか、急に家へ帰りたくなって来た。前晩そこの家で余り好遇されたので多少極りが悪くなった、というような気持もあったらしいし、一人でよその家に泊ったために父母から遠く離れて心細くなった、というような気持もあったらしいし……其他、僕は今はっきりとは覚えていないが、兎に角無性に父母の所へ帰りたくなって、とうとう決心をし実行をしてしまったのだ。親戚へは無断のままで、町の出外れで提灯を一つ買って、一里の田圃道を一人で帰っていった。
 親戚の人達は、いくら待っても僕が帰って来ないものだから、大変心配しだして、わざわざ学校へ聞きに行き、それからその晩のうちに、僕の家まで使の人を寄来した。そして僕は後で、父と学校の教師とからひどく叱られたものだ。
 が、そんなことはどうでもいい。僕はたった一人で提灯をつけて一里の道を帰っていった。もう日はとっぷりと暮れて、月の光が冴えきっていた。月夜に提灯をつけるというのは、一寸聞いたら可笑しいか知らないが、田舎の人は夜道をする時には、どんな明るい月夜にも必ず提灯をつけるものだ。森の中にはいったり月が曇ったりする時の用心のためもあろうが、それよりも、そのぽつりとした蝋燭の光が、足許二三尺だけを輝らす弱々しい蝋燭の光が、何だかこう自分を導いてくれる光明のように思えるからだ。それほど、田舎の広々とした平野は淋しい不気味なものなんだ。たとい月の光が千里を照らすというほど煌々と輝いていても、その光は物影とくっきり際立って見られる都会のと違って、眼の届く限り一面に降り濺いでるせいか、空の明るいわりに地面は妙にぽーとして、物に漉されたような頼りないものになってしまって、足許が変に心もとなく感ぜられる。例えばじかにさす電燈の光は、どこかはっきりと力強いが、あれに紗の布でも被せてみ給え、どんな高燭の光でも、室の中が明るいわりに畳の目はぼんやりしてくる。云わば盲いた光なんだ。広々とした田舎の月の光がやはりそうだ。明るいわりに足許が変に覚束ない。
 で僕は提灯の火を頼りに、疲れた足を一生懸命に早めて歩いた。町から半里ばかりの間は、可なりの街道で、ぽつりぽつり人家も見えていたが、それから先は別れ道になって、大きな森をぬけ広い畑地を横ぎって村に着くまで、昼間でさえも人通りの稀な、人里離れた狭い道だった。
 森にさしかかる頃から、僕はもう一心に提灯の光を見つめたまま、ぞーっと背後から寄ってくる恐ろしさに身を竦めて、息をこらして突き進んでいった。深い木立の影があたりを包んで、梢から洩れ落ちてるらしい点々とした月の光が、いくら眼を足許にばかり据えていても、真黒なものや仄白いものをちらちらと、眼瞼の縁の方へ押し込んで来た。そちらを見ればなお恐いし、見まいとすればなお不気味になって、音を立てずに出来るだけ早めてるつもりの足が、がくりがくりと宙を踏むような思いだった。
 それでも漸く森を通りぬけ、ぱっと開けた畑地に明るい月の光を見て、ほっとして馳けるような心地で足を早めてる時、僕は蝋燭の火がじじじ……と燃えつきかけているのに気付いた。町を出る時新らしい一本の蝋燭をつけていて、それで大丈夫家に帰れると思ってたのに、そして実際帰れる筈だったのに、どうしたわけかもうそれが無くなりかけている。其処からは明るい田圃道ではあるけれど、前にも云った通り、やはり提灯の火がないと心細いのだ。僕は泣きたいような気持になって、遙か十町ばかり向うにこんもり茂ってる村の木立を、ちらりと上目がちに見やっておいて、出来るだけ足を早めて歩き出した。
 すると、森の大きな真黒い影が……というほどはっきりしたものではなく、何かこう形態《えたい》の知れない不気味な影が、同じ早さですぐ背後にくっついてくる。風のように音もなく、背中にぴったりくっついてくる。ゆっくり歩けばそいつもゆっくりとなるし、早く歩けばそいつも早くなる。恐くて恐くて、とても後ろを振返る元気などは出ない。命とたのむ提灯の火は、じじじ……と燃えつきようとしている。
 僕はその時くらい恐ろしい思いをしたことはない。がどうにか歩き続けられたのは、父がその道を夜遅く歩き馴れてるという考えからだった。僕の父は始終出歩いていて、自然と町で酒を飲むことなんかも多かったが、いくら夜が更けても、もう明け方近くなっても、またいくら酔っ払っていても、大抵は一人でその一里の道を歩いて帰って来た。而も田舎の人に似合わず、闇の夜でも提灯もつけずに、白鞘の短刀を懐にして、平気で歩いて来たのでるる[#「来たのでるる」はママ]。それを母が心配して、二人でいざこざ云ってるのを、僕は幾度か耳にしていた。
 で僕は、父が何度も通った道だ、始終夜更けに通り馴れてる道だ、とそう心の中で繰返しながら、その一事に縋りついて歩み続けた。それでも用捨なく、恐ろしい影は背後にぴったりくっついてくる。
 そういうことがだいぶ続いた後、もう村まで半分余りも行った頃、背中の影が拭うようにふーっと消えた。おやと思ったとたんに、向うの芋畑の畔の青草の上に、真白な狐が飛んで出た。そしてきょとんとした様子で、僕の方をちらと見やってから、前足を上げて額のあたりにかざしながら、おいでおいでと招くような手付を――足付を二三度して、またぴょんと芋畑の中に飛び込んでしまった。全身真白な艶々した毛並で、芋の葉からはらりとこぼれた露の玉よりも、もっと美しい銀色だった。
 それからしいんとなった。僕は喫驚してあたりを見廻した。月の光が一面に降り濺ぐような晴々とした夜だった。急に四方が明るくなって、胸の中までも明るくなった。僕はもう恐ろしくも何ともなかった。白狐のお稲荷様の使だ。僕の屋敷の中に祭ってあるお稲荷様が、僕を迎いに白狐を寄来されたんだ、そう思ってみると、何だか急に豪くなったような気がして、もう蝋燭の燃えつきかけてるのも気にならなくなった。
 後でそのことを話すと、母はそれを白兎だろうと云った。然し僕は白狐だったと云い張った。実際今でも白狐だったと思っている。
 それだけの話なんだが……。なに、そんなお伽噺なんか面白くもないって、そりゃそうかも知れないが、然し君、人生は先ずお伽噺から初まるんだ。そこで、此度はも少し面白いのを聞かせよう。が一寸、煙草を一服吸ってからだ。

      二

 前の話から一年か二年後のことだった。僕の父が肺病にかかって寝ついてる時のことなんだ。
 僕の父は痩せてこそいたが、平素は至極頑健なたちで、随分不摂生な生活をしても身体に障らなかった。それが不意に肺結核にとっつかれて寝ついた。何でも友人に結核の人がいて、その死際から葬式まで一切世話をしてやったので、その時に感染したのだとの話もあるが、そんなことはどうだか分ったものじゃないし、またこの話とも関係のないことだ。
 で、父が肺病で寝ついたので、母の心配は大したものだった。十里も離れた都会から名医を迎えたり、新聞広告のあらゆる薬を取寄せてみたり、出入の人に頼んで鼈や鰻を絶やさなかったり、山羊を飼ってその乳を搾ったりして、出来るだけの薬や滋養分を与えたが、父の病気は少しもよくなる風はなかった。そのうち、村から三十里ばかり離れた所に、肺病に対する秘伝の妙薬があるということを聞き込んで、それを買いに自身で出かけたのである。
 其処へ行く最も近道は、まだ交通の開けない昔のことなので、四里の田舎道を歩いていって、それから汽車に乗って、その先がまだだいぶあるとのことだった。何しろ、その妙薬をのんで病気がなおったという村の或る古老が、抽出の中から探し出してきてくれた古い薬袋の裏の、怪しい処書の文字を頼りに、漠然と見当をつけて出かけてゆくのだから、まるで夢をでも掴むような話なんだ。そしてその妙薬なるものが、実に変梃なものだった。それを服用すると、二十四時間のうちに、体内のあらゆる黴菌が死んでしまって、その毒気や汚物が、一度に下痢と共に排出され、残ったのは腫物となって吹き出されるというのだ。今考えると、それは或る人間の脳
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