奴俺を恐がってるんだな、と思ってじっと見ていると、向うでもじっと僕の方を見ている。その顔が何だか見覚のあるようだった。いつ何処で見たのか思い出せないが、ごく淡い而もごく親しい記憶があった。云わば、生れない前から知っていて始終見馴れてはいるが一度もはっきり見たことがないというような、よく知ってはいるがさてどんなかとはっきりは云えないような、余りに身近かな余りに朧ろな記憶だった。
僕はまた四五歩近づいていった。すると向うでも同じように四五歩退ってしまう。僕が立止ると向うも立止るし、寄ってゆけば退いてゆく。僕は少し苛立たしくなって尋ねてみた。
「誰だい、君は。」
すると同じように尋ねかけてくる。
「誰だい、君は。」
そこで僕は自分の名前を云って、散歩に出て道に迷って困ってるのだが、宿へ帰るにはどう行ったらよいかと尋ねてみた。が、それには何とも返辞をしないで悲しそうな顔付で黙って立っている。
僕は何だか変な気持になって、一人で歩きだした。いくら行っても同じような草原なのだ。初めは漸く踏み分けただけの小径があったが、それもいつしか消えてしまって、それから先は、腰ほどの灌木が所々にこんもり
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