照子も淡雪の方へ眼をやって答えをした。
「何度も誓いました通り、生涯かけてあなたを愛します。」
「生涯かけて……。」
「ええ、生涯決して忘れませんわ。どんなことがあっても決して……。」
 忘れない、その言葉を木原は心の中で繰り返しました。そして十歩ばかりして、彼は低い声で言いました。
「あなたは、もう、私と別れるつもりですね。」
 照子はちょっと立ち止りました。それから木原の肩にもたれかかるほど身を寄せてきて、ゆっくり言いだしました。
「もう覚悟しておりますの。あなたが一緒に死んでくれと仰言れば、今すぐにでも、御一緒に死にましょう。ええすぐにでも死にますわ。けれど、生きゆくのでしたら、立派に生きたいと思いますの。そのために、影でどんなに苦心してるか、あなたにはお分りになりませんわ。三浦先生にいろいろ御相談していますのも、そのためですの。結婚がもし出来るものなら、立派に結婚したいんですもの。身体一つであなたのところへ飛びこんでゆくのは、あまり惨めすぎますわ。衣類も道具もなく、お金もなく、犬猫のような結婚をして、生涯蔑まれるのは、たまりませんわ。そんなことで生涯蔑まれるのは、女にとってどんなことだか、あなたにはお分りになりませんわ。三浦先生は、よく分って下さいまして、いろいろ力になって下さいますの。きっと、わたしたちのために、よいようにはからって下さいますわ。」
 彼女は彼女の真実を言っていました。木原はそれをはっきり感じました。
 ――然し、それならば、俺は犬猫のような結婚を望んでいたのであろうか。いや俺も人間としての自尊心を持っている。ただ、彼女は、彼女一家は、そして三浦さんも、俺とは種族が違うのだ。
 そして何よりも、彼女の言葉の調子が気持ちにひっかかりました。真実を言ってるのではあるが、それが、なにか血の通わない作文みたいに感ぜられるのでした。
 舗装してある通路でしたが、所々に損傷があって、雪解けの水溜りを拵えていました。考えこんで歩いてるうちに、木原はうっかりそこへ踏みこんで、片方のズボンの裾を泥まみれにしました。
「あら……。」
 照子はハンカチを差出しました。木原はそれを受取って、ポケットに納めました。
「これは貰っておきますよ。」
 泥水まみれの足を運んでゆきますと、四辻になりました。その向うの焼け残りのところに、三浦行男の家はありました。木原は四
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