乱視めいた眼付に色艶が出て来て、それと共に、太い頸筋が目立ち、しゃがれた声がなおかすれて、この二三年すっかり堅くしてるという、その肥った世帯じみた様子に、何か濁った汚ならしいものが浮んできた。私は何だか気が引けて、後で逢う約束をして、彼女を帰らした。それから室に戻って、平然と事務を片付け、なるべくゆっくりと会社を出た。そして彼女と待合せる場所が、なるべく会社から遠いというとっさの思いつきで、浅草の雷門前の仲店の通りということにきめたのを、自分で苦笑したのである。
その頃、私は特殊な気持で生きていた。一方では、千代次の死後、その真心の幻を守り続けると共に、もう何如なる女にも心惹かれないという自由な朗かな自信とも決心ともつかないものを持っていて、それが逆に、あらゆる男女関係を軽蔑させていた。要するに、清濁を超えた宙に浮んだ気持なのである。それからまた一方では、経済的にひどく窮迫していて、何かしら漠然たる反抗心が湧いていた。もう浪費することもなく、また浪費しようにも出来なかったが、方々にたまってる不義理の借金や金貸からの負債などは、時間が経過するほど益々重くのしかかってきて、それを一挙に整理するために信子の父に頼んでみたのだが、千代次との過去のことが知れ渡っていたためか、手痛い警告をされた上に断られて、全く整理の見当がつかなくなっていた。以前、杉浦や西田などと交際して、社会問題や被搾取階級の問題などを論じ合い、小さな運動グループを拵えかけていた頃のことが、遠い過去のように思い出され、別種な熱い憤慨が身内に沈潜していた。
私がもし相当に金を持っているか、或は遊蕩の気分でも濃かったら、浜田ゆき子などには一瞥も与えなかったろう。
雷門前の仲町の人通りの中に、小間物屋の前に佇んで、花笄などを眺めてる彼女の姿を、私は遠くから見分けて、再び苦笑を洩した。頸が太く、背が低く、皮膚が荒れ、三十近い年配よりももっと老《ふ》け、吾妻下駄なんかをはいて、小さな風呂敷包をもってる彼女の姿は、人中に目立った。そして私は自分の洋服姿を気にしながら、私の方へ縋りつくような眼付をあげる彼女をつれて、その辺の安価な牛肉店にはいり、酒をのみ飯をくい、ぐずぐずに時間がたち、今晩は帰らなくともいいなどと云いだした彼女と共に、懐中の紙入の中を胸勘定しながら、公園裏に安価な宿所を求めたのだった。
置床と餉台とで僅かに恰好をつけて、昼間の光で見たら方々に汚点が浮出してそうなその室で、私は酒をのみながら、彼女を珍らしげに眺めた。この頃姉の家の手伝いをしてると云って、私にさわらしたその手は、皮膚がかたくざらざらしていた。あれから幾年になるかしらと云って、胸の中で指折り数えて、この頃あなたのことをよく思い出すわと、乱視めいた眼で昔のような可愛い笑い方をした。この頃酒はたってるんだけどと云いながら、平気で私の相手になっていて、その声は昔よりずっとかすれていた。田舎めいた臙脂の襟元がくずれて、化粧の香りよりも体臭の方が――実状はともかく――目立っていた。そして私も彼女も、淡い一脈の昔の夢の名残だけの親しみに満足して、お互にいろいろ訊ねあおうともせず、口先だけの言葉をかわして、二匹の動物みたいに対座していた。
その夜のことが……。
――手記にはいきなり「その夜のことが……。」と続けられているが、茲に不思議なのは、初め信子についてあんなに重く取扱われていた耳のことが、一言も云われていない。恐らく浜田ゆき子の耳は、云うに価しないほど至極平凡なものだったのであろう。或は信子について耳を重要視したのは、無意識的にせよ何かの口実だったのであろう。そして「その夜のこと」の内容について、手記の先の方に暗示的な一節がある。それをここに引用しておこう。
社員の殆んど全部と社長の懇意な人々とが集っていた。社長の誕生日の招待といっても、年に一度のこうした集会は、依田商事会社の記念会とも云えるものだった。そしてこの記念会だけから見ると、この商事会社は着実な発展をなしてるようだった。招待された人々は、社員を除いて、一年毎に社会的地位も上り、人柄の重みも増してるようだった。新たに知名の人も一二出席していた。万事略式でそして粗餐ということだったが、それらの人々が大抵、ネクタイピンを光らし、ズボンの折目も正しく、中にはモーニングを着込んだものもあって、東洋軒の広間で、白布の上に花を飾った食卓をとりまいて、礼儀正しく食事をしてるところは、如何にも立派だった。私は末席の一つにいて、足高の酒杯になみなみとつがれてる白と赤との葡萄酒が、電気の光にてりはえるのを眺めながら、日本酒をのんでいたのであるが、側の二人の同僚が小声で、俺たちも誕生日にはこうした盛宴を張りたいものだが、一体今日の入費はどれほどだろうかなどと、感歎とも皮肉ともつかない調子で囁きあってるのを、小耳にはさんだのがもとで、僅かな金の工面にも齷齪してる自分の身が顧みられて、うら淋しい気持になった。それが私を更につき落して、浅草公園裏の安宿へ浜田ゆき子を連れこんだ時のことを思い起した。それは幻影に近かった。そして私は考えた。あの時の私の姿を今この席にいる私と置きかえたらどうだろう。私は遂い出されるであろうか。いや、ここにこうして鹿爪らしく控えてる立派な連中にも、人中にもち出せない生活の暗い隅はあるにちがいない。誰だって、何処でどんなことをするか分らない。ただ、こういう立派な紳士たちは、自分で汚らわしいと感ずるようなことは、出来てもしないかも知れない。だが私は、自分で汚らわしく惨めだと感ずるようなことを、平然とやってのけた。これは一体どうしたことだ。
こういう事柄は、大勢の宴会の中などで考えるべきことではなかったろう。然し私は変に執拗にあの夜の幻影を追った。声がかすれ息が濁って、肥《ふと》ることが荒れすさむことになるような、そういう彼女の肉体を、両手に裸体像を取上げて眺めるような風に、私はもてあそんだ。もう美醜の問題もなく、感情の問題もなかった。自分自身をも相手をも踏みにじってやれということもあるにはあったが、それよりも、ずるずると陥ってゆくどん底はどこだという、そうした漠然たる気持の方が大きかった。たとえ千代次が生きていて、私が彼女に夢中になっていたとしても、私はやはり同じことをしただろう。翌朝、勘定の残りの五十銭銀貨を幾つか彼女の手に握らせ、円タクにとび乗る私を見送ってる彼女のしょんぼりした姿をちらと見、その時だけは、温い心で彼女の肩を抱いてやりたいと思ったのが、私の唯一の人間味であったろう。私は自分を惨めに思い、彼女を哀れに思った。そしてこの華かな宴席の紳士たちを、反抗的に、呪いもし、軽蔑もした。
経済的に生活の立直しをするため、信子の父の緒方久平氏に歎願したことは、前に一寸述べておいたが、その時私は逆に意見をされただけだった。人の好意を常に当にし、それに甘えてつけ上った要求をもち出すのは卑劣だ、というのが緒方氏の意見だった。実際私は彼に二三度金を借りたことがあったし、母も生存中何かと世話になったのだった。彼は私に二つの問いを出した。川に溺れてる者があって、飛びこんで助けようとすれば、こちらも必ず溺れ死ぬときまってる場合、君はそれでも飛びこむか、どうだというのである。ばかげた問いだと私は思った。一人死ねばよいのに、何で二人死ぬ必要があろう。ところが、それが親子夫婦の間だったらどうだ、それでも……とすぐに云い切れるか、との再度の問いになった。私が黙って考えていると、君は世の中の人をみな親子夫婦の間柄と同様に思ってる、それが君のそもそもの考え違いだ、とそう結論された。そして彼はなお云い続けた。
「溺れてる者を助ける普通の場合にせよ、その者が、後で必ず何度も水に落込むと分ってる場合、君はそれでもその度毎に飛び込む勇気があるかね。または、始終その者を監視して水に落込まないようにしてやるだけの好意があるかね。そんなことはばかばかしいと思うだろう。僕から見れば、君は好んで何度も水に落込む男だ。君の暮し方は、笊に水をつぎこむようなものだ。もし君がその笊に目張りをして水がもらないようになったら、その時は僕も相談にのってやろう。君のお母さんも君のそういう性質を心配しておられた。よく考えて覚悟してみ給え。」
私はもう覚悟を、別種の覚悟をしていたので、彼の前から黙って辞し去った。その頃私は実際ひどく若しかった。どうしても払わねばならぬ義理の悪い借金があったし、金貸への利息払いに追われていたし、その上、古賀に無理に頼まれて連帯保証に立ってた借金を、田舎の土地を売って来るからといって出発した古賀からいつまでも便りがないので、全部私が負担しなければならないような破目に陥っていた。私はそういう一切のことを信用金融制度の穽だと考えた。利用したのはこちらが悪いが、穽に陥るまで利用さしたのは向うが悪い、と考えた。そしてもし全体の整理が出来たら、私は一人身だから、少しずつ払っていける確信はあった。だがその整理も出来ないような面倒くさい世の中なら、御免を蒙っていいと思っていた。笊から水がもらないようにするには、目張りをするのが先ず必要だった。そして私が知ったことは、目張りをすることが最も必要な時に、目張りをすることが最も困難だということである。
こうした気持からくる私の態度は、緒方氏に印象を残し、ひいてはその家庭での話題となったものらしい。少くとも、信子は私の家に来る時、母親から何等かの注意か依頼かを受けたもののように、私には考えられる。第一、私の母の命日だからとて花なんか持って来たのがおかしい。嫁いで間もなく先方を飛びだしてきて、二十五の今日まで家でぶらぶら日を送り、文学だの音楽だのをなまかじりしてる彼女のことだから、時々私のところへ遊びに来ることもあったが、母の仏壇へ花をもって来るなどとは、余りに殊勝すぎた。
日曜日の午後のことで、暖い春の日差を受けてる縁側で、私たちは話をした。八つ手や檜葉や躑躅などが植ってる何の風情もない狭い庭に、青い雑草があちらこちら生え出していた。女中に草を取らしたらいいじゃないの、と彼女は云った。私はただ苦笑したが、その時ふと、反対のことを考えた。庭に雑草を生えるまま茂らしたら面白いだろう。名も知れぬ小さな白や赤の花が咲いたらどうだろう。いろんな虫もとんでくるだろう……。そういう想像を私は、自然に逆らわないで生きるという形式で述べた。すると、彼女は軽蔑したように鼻の先で笑った。雑草の繁茂なんかの中に自然を見出すのは、なげやりのだらしない生活の口実にすぎない、と云うのだった。そういう自然は意志の喪失を意味するのだと。私は或はそうかも知れないと考えてみて、いやな気がした。そっと窺ってみると、彼女の眼は青葉の反映を受けて無邪気にちらついていたが、中高の先の尖った鼻が如何にも高慢そうで、お召銘仙の着物と羽二重の帯のじみな服装に、帯留の珊瑚と指輪のオパールとがいやに落付払っていた。私はとりつき場がなくて、軽くウェーヴした髪に半ば隠れてる耳を、あの醜い耳を、しつっこく探し出し取出さねばならなかった。
「意志の喪失でも、間違った自然でも、そんなことはどうでもいいんです。ただ、雑草を生えるままに生えさしたい、それだけのことで、それが今では胸にぴったりくるんです。」
私はそう云って涙ぐんでいた。
だが、その言葉もその涙も嘘ではなかったが、不思議にも、そんなことを云ってそんな風に涙ぐみたいという気持があった。信子に対する私の態度としては珍らしいことだった。
私たちはなおいろんなことを話した。私の室の書物を見て彼女は、も少し詩や小説を読むがいいと勧めた。寂しい家の中を見廻して、蓄音機を買えと勧めた。その蓄音機がばかに贅沢なもののようにその時私には思われた。彼女は私の家の中を、生活状態を、偵察してるようだった。私は何もかも投げ出した気持で、少しも逆らず、ただ、時々意識的に、彼女の欠け縮れた醜い耳を探し求めた。彼女は私の机の前に坐って、どうしようかと迷
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