ど驚かれることではなかった。
川蒸汽の中での一年ぶりの邂逅は、普通以上に、島村を微笑ましい落付いた気分になした。彼はしみじみと村尾の顔を眺めた。
「こんな船に、君も時々乗るのかい。」
「ゆっくりした用の時には、乗ることにしています。」村尾も落付いた調子だった。「僕の中にはまだ、こうした、ロマンチックなものが残っているんでしょう。」
そして彼はまた、きまり悪そうな微笑を浮べた。以前の面影がそれを中心に残っていた。二人は口を噤んで、水面や岸の方を眺めやった。河岸の家並にはもう夕暮の色がかけていた。二人は吾妻橋で船から下り、ぶらぶら歩いて、公園前の一寸した家で酒にした。
「この向うの仲町だったね、名古屋から来た女と持ち合せたとかいう、君の旧跡は。」
「旧跡とはよかったですね。だけど、実際僕は市内の方々に旧跡を持ってるんですが、それが、今では、自分の旧跡ではなく、誰か他人の旧跡のような気がするんです。生活の変化というものは、何もかも遠くへ押し流してしまうんですね。あの当時、僕は心残りのことが二つありました。一つは、信子に、決して愛してるんじゃないと知らしてやらなかったことで、も一つは、会
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