った。それを私は思い出して、むず痒いような気持になり、構内の高い円い天井の下で、自分の黒いソフト帽を思いきり投げてやった。落ちてくるところを宙に受けて、また投げ上げた。三度目に投げようとすると、私の腕は強く引止められた。社の一人の同僚が、腹を立てて、烈しい気勢で私を押えてるのだった。私も腹が立ったが、諦めて、帽子を頭にのせた。そんなところで帽子を投げることは許されないのであろう。
――手記はこれで終っている。恐らく、もっと書く筈だったのが、何かのために中絶されたものらしい。普通なら、こんな尻切の手記はあるものでない。
この手記を村尾は、島村と公然の深交を持ってる静葉に託した。もう夜の十一時すぎで、馴れない出先だったが、客からの名指しで是非にということだったので、静葉はやっていくと、すっかり酔っ払ってる村尾だった。新聞紙に包んで紐で結えたものを彼は差出して、ひどく大切なもので、郵便で出したくないし、直接島村さんに渡すのも都合が悪いから、君から手渡して下さいと、静葉に頼んだ。その用件をすますと、村尾はまたしきりに酒をのみ、島村の代りに聞けといって、静葉にはよく分らないことを饒舌りたてた
前へ
次へ
全44ページ中39ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング