た。どうしても払わねばならぬ義理の悪い借金があったし、金貸への利息払いに追われていたし、その上、古賀に無理に頼まれて連帯保証に立ってた借金を、田舎の土地を売って来るからといって出発した古賀からいつまでも便りがないので、全部私が負担しなければならないような破目に陥っていた。私はそういう一切のことを信用金融制度の穽だと考えた。利用したのはこちらが悪いが、穽に陥るまで利用さしたのは向うが悪い、と考えた。そしてもし全体の整理が出来たら、私は一人身だから、少しずつ払っていける確信はあった。だがその整理も出来ないような面倒くさい世の中なら、御免を蒙っていいと思っていた。笊から水がもらないようにするには、目張りをするのが先ず必要だった。そして私が知ったことは、目張りをすることが最も必要な時に、目張りをすることが最も困難だということである。
 こうした気持からくる私の態度は、緒方氏に印象を残し、ひいてはその家庭での話題となったものらしい。少くとも、信子は私の家に来る時、母親から何等かの注意か依頼かを受けたもののように、私には考えられる。第一、私の母の命日だからとて花なんか持って来たのがおかしい。嫁いで
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