してきた。
 ――茲に一言挟むが、手記にはただ右のようなことしか書いてない。然し村尾はくり返し云った。「僕はその金を、拾い物を収得して利用するような気持で使った。そうすることが、信子に対する自分の道化た態度を益々徹底させることになり、自分を益々泥の中につきこむことになるからだった。そして僕は自分の……云わば、無良心の底が知りたかったのだ。」この言葉は彼の憂欝の原因を説明してくれるようである。
 そして憂欝な気持で、翌日を過し、夕方家に戻ってくると、信子から手紙が来ていた。私はそれを、あれからすぐ名古屋に帰るといっていた浜田ゆき子からでも来たような気持で、披いてみたのだが……。
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私は悲しい心でこの手紙を書かなければなりません。一日一夜、考え通してみましたけれど、やはり一切のことを申上げた方がよいと思いまして、進まぬペンを執りました。御許し下さい。私はただあなたにお力をつけてあげたい――お笑い下さいませ――あなたがどんなことをなさるか分らないと心配して、母といろいろ相談した上で、あんなことを致したのでした。そして思いがけなく、あなたの愛に接して……。あなたが私を愛していて下さることは分っていましたけれど、でも、それはちがった種類の愛だと思っておりましたの。それが、ああいうことになって……。私は今泣いています。泣きながら告白します。私には、愛する人がございます。そのためにも、私はあなたの愛を御受けすることが出来ませんの。御許し下さい。でも、あなたは屹度、この悲しみに堪えて下さいますわね。どんな悲しみにも堪えて下さいますわね。私はあなたの男としての力を信じます。私を愛して下さいますならば、この私の確信を裏切らないで下さいませ。私はたとえ泣きましても、あなたは泣かないで下さいますわね。(中略。ここに彼女は、人生はくいちがった歯車のようなものだとか、悲しみをふみくだいてゆくのが生きる途だとか、自分は過去にそうした途を辿ったが、今はただ一条の光を見つめて生きているとか、そんなことを書いていた。)あなたは今、いろいろな意味で、試練の時期にさしかかっていらっしゃると思いますの。そして力強い輝かしい未来のため、只今の試練に御堪えにならなければなりません。そうしたあなたを私は信じておりますの。私はあなたの愛を御受けすることが出来ないながらも、あなたのよきお友だちに
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