間もなく先方を飛びだしてきて、二十五の今日まで家でぶらぶら日を送り、文学だの音楽だのをなまかじりしてる彼女のことだから、時々私のところへ遊びに来ることもあったが、母の仏壇へ花をもって来るなどとは、余りに殊勝すぎた。
日曜日の午後のことで、暖い春の日差を受けてる縁側で、私たちは話をした。八つ手や檜葉や躑躅などが植ってる何の風情もない狭い庭に、青い雑草があちらこちら生え出していた。女中に草を取らしたらいいじゃないの、と彼女は云った。私はただ苦笑したが、その時ふと、反対のことを考えた。庭に雑草を生えるまま茂らしたら面白いだろう。名も知れぬ小さな白や赤の花が咲いたらどうだろう。いろんな虫もとんでくるだろう……。そういう想像を私は、自然に逆らわないで生きるという形式で述べた。すると、彼女は軽蔑したように鼻の先で笑った。雑草の繁茂なんかの中に自然を見出すのは、なげやりのだらしない生活の口実にすぎない、と云うのだった。そういう自然は意志の喪失を意味するのだと。私は或はそうかも知れないと考えてみて、いやな気がした。そっと窺ってみると、彼女の眼は青葉の反映を受けて無邪気にちらついていたが、中高の先の尖った鼻が如何にも高慢そうで、お召銘仙の着物と羽二重の帯のじみな服装に、帯留の珊瑚と指輪のオパールとがいやに落付払っていた。私はとりつき場がなくて、軽くウェーヴした髪に半ば隠れてる耳を、あの醜い耳を、しつっこく探し出し取出さねばならなかった。
「意志の喪失でも、間違った自然でも、そんなことはどうでもいいんです。ただ、雑草を生えるままに生えさしたい、それだけのことで、それが今では胸にぴったりくるんです。」
私はそう云って涙ぐんでいた。
だが、その言葉もその涙も嘘ではなかったが、不思議にも、そんなことを云ってそんな風に涙ぐみたいという気持があった。信子に対する私の態度としては珍らしいことだった。
私たちはなおいろんなことを話した。私の室の書物を見て彼女は、も少し詩や小説を読むがいいと勧めた。寂しい家の中を見廻して、蓄音機を買えと勧めた。その蓄音機がばかに贅沢なもののようにその時私には思われた。彼女は私の家の中を、生活状態を、偵察してるようだった。私は何もかも投げ出した気持で、少しも逆らず、ただ、時々意識的に、彼女の欠け縮れた醜い耳を探し求めた。彼女は私の机の前に坐って、どうしようかと迷
前へ
次へ
全22ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング