きまってる場合、君はそれでも飛びこむか、どうだというのである。ばかげた問いだと私は思った。一人死ねばよいのに、何で二人死ぬ必要があろう。ところが、それが親子夫婦の間だったらどうだ、それでも……とすぐに云い切れるか、との再度の問いになった。私が黙って考えていると、君は世の中の人をみな親子夫婦の間柄と同様に思ってる、それが君のそもそもの考え違いだ、とそう結論された。そして彼はなお云い続けた。
「溺れてる者を助ける普通の場合にせよ、その者が、後で必ず何度も水に落込むと分ってる場合、君はそれでもその度毎に飛び込む勇気があるかね。または、始終その者を監視して水に落込まないようにしてやるだけの好意があるかね。そんなことはばかばかしいと思うだろう。僕から見れば、君は好んで何度も水に落込む男だ。君の暮し方は、笊に水をつぎこむようなものだ。もし君がその笊に目張りをして水がもらないようになったら、その時は僕も相談にのってやろう。君のお母さんも君のそういう性質を心配しておられた。よく考えて覚悟してみ給え。」
私はもう覚悟を、別種の覚悟をしていたので、彼の前から黙って辞し去った。その頃私は実際ひどく若しかった。どうしても払わねばならぬ義理の悪い借金があったし、金貸への利息払いに追われていたし、その上、古賀に無理に頼まれて連帯保証に立ってた借金を、田舎の土地を売って来るからといって出発した古賀からいつまでも便りがないので、全部私が負担しなければならないような破目に陥っていた。私はそういう一切のことを信用金融制度の穽だと考えた。利用したのはこちらが悪いが、穽に陥るまで利用さしたのは向うが悪い、と考えた。そしてもし全体の整理が出来たら、私は一人身だから、少しずつ払っていける確信はあった。だがその整理も出来ないような面倒くさい世の中なら、御免を蒙っていいと思っていた。笊から水がもらないようにするには、目張りをするのが先ず必要だった。そして私が知ったことは、目張りをすることが最も必要な時に、目張りをすることが最も困難だということである。
こうした気持からくる私の態度は、緒方氏に印象を残し、ひいてはその家庭での話題となったものらしい。少くとも、信子は私の家に来る時、母親から何等かの注意か依頼かを受けたもののように、私には考えられる。第一、私の母の命日だからとて花なんか持って来たのがおかしい。嫁いで
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