。彼女だって、汗をかくことがあるし、心臓をどきつかせる。なんてざまだ。いや、俺はもっとひどい。ふだんでさえ、ぶるぶる震える手で酒杯を持ち、頭の天辺から湯気を立て、動悸を早めてる。なんていやらしい肉体だ。お前のようなものは、もうたくさんだ。別れようじゃないか。さよならだ。お前ときっぱり訣別したら、俺はどんなにか清々するだろう。ざまあ見ろ。これでさようならだ。お前がいくら追っかけて来ようと、俺はもう振り向きもしないぞ。穢らわしい奴だ。お前ばかりか、由美子の肉体だって、八重子の肉体だって、穢らわしさに変りはない。由美子のは、腋臭めいた臭気がするし、八重子のは白髪染めの臭気がする。いくら香水をふりまいてもだめだ。ざまあ見ろ。さようならだ。≫
由美子は木山の肩を捉えて揺った。
「木山さん、起きて下さい。そして、はっきり言って頂きましょう。」
木山は黙って、彼女の顔を眺めた。
「あなたの御本心は、私にじっと塚本のところで辛棒せよと、そうなんでしょう。」
木山はまだ黙っていた。
「そうしてるうちに、自然と別れることになると、それをお望みでしょう。」
木山は返事をしなかった。
「よく分りましたわ。もう御心配はかけません。わたしはわたし自身で仕末をつけます。」
木山はふいに叫んだ。
「勝手になさるがいいでしょう。」
そして立ち上り、室の中をぐるぐる歩き廻った。暴風の前兆は彼の方にあった。頭がくらくらし、やたらに腹が立った。
「僕の気持ちは前に言った通りです。あなたはいつまでも後戻りばかりしている。別れようと僕に言わせたいんでしょう。そんならそれでよろしい。御随意になすって下さい。」
ぐるぐる歩いて、それから炬燵に半身を入れて仰向きに寝そべった。
≪俺は何を言ってるんだ。肉体に訣別して、そしてなにかしら精神的な愛情を求めて、あっぷあっぷしてるんじゃないか。それがどうして言葉に言い現わせないのか。なぜ率直に彼女に言えないのか。≫
由美子の手が伸びてきて、彼は引き起された。
「別れるなら別れると、はっきり致しましょう。ふてくされた真似は、わたしいやですわ。」
「僕もいやです。」
「そんなら、どうなんですの。」
「理屈も僕はいやです。同じことを繰り返すのもいやです。あなたと別れるのもいやです。何もかもいやです。僕は自分自身までいやになってるんです。腹を立てさせないで下さい。」
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