ろにまで李の議論は飛躍してしまった。
「現代の社会では、個人的感情の強い時ほど私の立場に立つものであり、その感情がだんだん薄くなって、機械的機能に近づくほど公の立場に立つことになり、機械に至り初めて完全に公の立場になります。別所君は全く機械になり得ない性格です。だから、先生も御存じでしょう、三年前、浅間山の噴火口に飛びこみに出かけたようなことが起るんです。」
「あれはちがうよ、君の方が私の感情で動いたじゃないか。」
別所はそう叫んで、顔を真赤にそめた。
その三年前の浅間行きというのは、別所が肺を病んだり野田沢子に失恋しかけたり、其他いろいろなことで、死を想ってる時に、李と二人で浅間の噴火口に出かけたことを指すのだった。李に云わせると、別所が果して自殺し得るかどうかを絶大な興味で観察しに行ったのだし、別所に云わせると、李があまり心配するのでそれを安心させてやるためについて行ったのだった。その、事の真偽はともかくとして、話の裏に見られる二人の友情に私は快い笑みを感じた。
李は口では別所をいろいろやっつけながら、別所のために何かと世話をやいていた。別所が野田沢子と仲直りをし恋愛関係にはいったことを知ると、なおその上に別所はちゃんと出版書肆に勤めていることでもあり、従来のきたならしい古下宿屋ではいかんと主張して、彼を引っぱって方々のアパートの空間を見てまわった。然しどこにも李の気に入る室がなかった。ところへ丁度、李が住んでるアパートの春日荘に室が一つ空いたので、李はむりやりに別所を引入れてしまった。その約束の日、李は突然私のところへ電話をかけてきた。
「……こんど、別所君が僕のアパートへ来ることになりました。先生はここのおばさんに大変信用があるから、別所君の保証人になることを、一言いって下さい。いま、おばさんとかわります。」
そして電話口の声は消えて、しばらく何か話声が伝わってきた。――実は私には全くだしぬけのことで、何の前触れもなかったのだが、然し別所に保証人がいるなら、なってやってもよいという気持は当然起った。私は春日荘の主婦の椿正枝とは古い知りあいで、そのしっかりした気性や多年の未亡人生活の苦闘に、ひそかに敬意を表しているのだった。
暫くすると、電話口には正枝の声が響いてきた。李の友人の別所次生という人を知ってるかというだけのことで保証人というようなことはな
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