ちにはひどく狂暴なものきり認められなかった。
「お前は、茂樹を、よくも立派に育てたな!」
 その一言が、彼女のあらゆる感情を押し潰してしまった。
「茂樹の居間はどこだ?」
 彼女には返事が出来なかった。身動きも出来なかった。
 茂吉はつかつかと横手の室にはいっていった。物をぶっつけ破壊する激しい音がした。それから暫くひっそりとなって、やがてそこらをかきまわす音が続いた。
 長い時間がたったようだった。声をかけられて彼女が顔をあげると、茂吉は死人のような顔色でつっ立っていた。手に小さな拳銃と小さな紙箱とを持っていた。
「これはどうしたんだ?」
 彼女もびっくりした。それはまるで見覚えのないものだった。が彼女がもっと驚いたことには、茂吉の声はもう張りがなくて震えていた上に、拳銃をもってる手がわなわなとおののき、その眼から、はらはらと涙が流れだしたのだった。彼は拳銃をもってる手の甲でその涙を拭いた。そしてなおつっ立っていた。膝頭の震えるのが見えた。それから突然、彼はぎくりとしてあたりを見廻し、逃げるように出ていってしまった。最後に振向いて唇を動かしたようだったが、彼女の耳には何の言葉も達しなかった……。
 彼女は一人残されて、全身麻痺したように坐り続けていた。そこへ川村さんと茂樹とがはいって来たのである。
 なお、後できき合して分ったことであるが、竹山の家から程遠からぬ処で、幾人もの人が不思議な光景を見たのだった。そこの広い街路の片端で、五十年配の男が、突然棒のように立止った。いつまでも棒のようにつっ立って、真直のところを凝視し続けている。その視線を辿ると、多少その辺で気が変だと知られていた竹山茂樹が、コダックを胸にかかえて、つっ立ってる男を写真にとってるのだった。一枚写し終えると、此度は方向をかえて写し、二三枚の写真をとった。その間、男は全く棒のようにまた殉教者のようにつっ立っていた。最後に茂樹は、男の方へ一瞥をなげて走りだした。男もその後を追って駆けていった……。
「僕がぐずついてたので、竹山の父親はまちきれなくて、やたらに歩き廻ってたものと見える。」と川村さんは云った。「然し、二人を対面さしたところで、結果は同じだったかも知れない。或はもっと悲惨な結果になったかも知れない。竹山の頭の中の幻影は、もう父親を見分けることを許さなくなってたらしい……。」
 川村さんが竹山の母親から大体の話をきいてる間、そしてその後になっても、竹山は自分の室にはいったきり出て来なかった。見にいってみると、写真器の破片がちらかってる中に、竹山は茫然と坐りこんでいた。身体が硬直していた。精神までも硬直していたらしい。じっと眼を据えたきりで、誰が何と云っても、もう一言も口を利かなかった。それでも、手を引いてやると、おとなしくついてくるのだった。
 その夜、竹山茂吉が、アパートの自分の室の中で、拳銃で心臓を弾ち貫いて自殺したことが、中一日おいて分った。最後の苦悶のうちにも握りしめていたらしい拳銃が、自殺を立証した。遺書めいたものは何も見当らなかった。
 それらのことを、川村さんは話し終えてから、良一の意見を求めるもののように、しばらく口を噤んでいた。良一は言葉が見当らなかった。川村さんは煙草をふかしながら云った。
「今になって僕は、竹山の父親に対する僕の本能的な反感の理由が、ぼんやり分るような気がするんだ。彼は行きづまってから、女と出奔した。女から裏切られると、それを殺そうとした。それから子供に無理にも逢おうとした。そして遂に自殺するようなことになった。ところが、僕なら、最初の第一歩で自殺してるね。それが、僕のようなインテリの弱さかも知れないが、また強みでもあり、朗かさでもある。要するに性格の相違だ。」
 良一は、川村さんの冷いところと温いところに、同時にふれたような気がした。それと共に、もし小鈴との愛がなかったら、川村さんは竹山の事件をどう感ずるだろうかと、考えてみるのだった。やはり川村さんも、自分の現状を超越した心境にはなり得ないのであろう。川村さんと小鈴との関係を新たに見直さなければならないと、良一は思うのだった。
 ただ、良一が安心したことには、皆でこれから椎の木に別れを告げに行こうと、川村さんは云いだした。竹山茂樹の憎しみの幻影がこわれると共に、原野権太郎の幻影もこわれてしまったらしい。川村さんはしみじみと云うのだった。
「椎の木などは、実はどうでもいいのだ。竹山があんまりこだわるものだから、僕もつい変な気になったが、自然の美は、個人で所有すべきものじゃないだろう。」
 川村さんも小鈴も良一も、自動車の中では無言だった。椎の木の下へ、木戸をあけてはいっていっても、誰も余り口をきかなかった。日は西に傾いて、椎の木の影が崖下に長くのびていた。昔は田園だ
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