です。ハラゴンなんかに渡しちゃいけません。もしこっちが負けたら、私はあの木に、首をくくってぶら下ってやります。」
 ほんとにやりかねない気勢なんだ。これは危い、と僕は思った。ハラゴンなんかに負けるものかと、そんな気持で、実は君の伯父さんに金を相談したり、他にもあたってみたりした。
 原野権太郎……どこから出てきたか分らないその名前が、竹山にばかりでなく、僕にとっても、一種の対抗的存在となっていった。そして僕は、本気で、椎の木の土地を年賦払いで買い取ろうと考えたりしたものだ。
 そうした気持の動きは、君には分るまいが、恋するものにはよくあることだ。僕と小鈴との仲は、恋愛といってもよかった。お互に始終想いあっていた。僕から出かけて行けないと、向うから僕の家にやって来た。僕たちは飽きるということがなかった。こんなに長く続く恋愛を、僕は嘗て知らない。彼女は固より知識の低い女で、僕たちの間には深い精神的なつながりはなかった。然しほんとの恋愛は、そんなものよりも、気分の融和とか、息の香りや肉体の触感、そうしたところにあるらしい。彼女は僕の経済状態もよく知っていた。どうにもいけなくなったら死のう、そういう気持で二人ともいた。そんな場合だったから、椎の木の土地を買おうなどと僕が本気で考えたのも、決して不自然ではなかったようだ。
 まあ大体そういう情況だったところへ、思いもよらない人物が登場してきた。

     七

 或る朝、小鈴から、竹山茂吉という人を知らないかとの電話だった。僕も驚いた。竹山茂吉というのは、かねてきいていたところによると、竹山茂樹の父親なのだ。
 大体のことを電話できいて、僕はすぐ小鈴にあってみた。
 彼女は前夜、ある大勢の宴会の席に出て、その後で、他の料理屋からかえってきた。行ってみると、前の宴会に出ていた客なのである。黙りこんで酒ばかり飲んでいた。何となくうすっ気味のわるい、もう相当年配の男だった。彼は変にふさぎこんだ様子で、わざわざお呼びしてすみませんと、いやに丁寧だった。それからすぐに、先程の話の竹山という人のことを聞きたいのだとのことだった。
 その先程の話というのが、小鈴の記憶にはよく残っていなかった。――もう宴会も終りに近く、座が手持不沙汰になってきた時、芸者たちだけ四五人集って、なんでも写真の話がでたらしかった。そして写真と素顔とがどうだとかいうことから、小鈴は僕からきいていた竹山茂樹のことを思いだし、写真もばかに出来ないと主張し、百枚近くも生顔をうつしとってる人があると云った。川村さんの知り合いの人だとも云った。ところが、その頃僕は酔っ払うと、しきりに椎の木の話をはじめ、ハラゴンに対する憤慨をのべ、どこのどいつだというような調子だったものだから、それは「椎の木の先生のハラゴンさん」みたいな話だとまぜっ返す者がでてきて、彼女はつい、竹山という実際の人だと口を滑らしたらしい。多少酒のまわってる芸者どうしの饒舌なので、実際のところはどうだったかはっきりしない。
 ただそれだけのことで、竹山とはどんな人かと改めてきかれてみると、小鈴は用心してかかった。が先方は、自分だけの考えに耽っているらしく、実はこうこういう竹山茂樹という青年を探ってる者で、なおよくその「椎の木の先生」に尋ねて貰えまいかと、返事の日を約束し、名刺を[#「名刺を」は底本では「名剌を」]おいて帰っていったのである。
 もう疑う余地はなかった。僕が自身で逢ってみることにした。
 約束の日の夜、小鈴から電話があると、僕はすぐに出かけていった。
 その時も、先程のあの料理屋なんだ。
 五十年配の男で、短くかりこんだ硬い髪の毛に、さえない白髪がへんに多いのが目立っていたが、眼には妙に沈んだ鋭い光があった。僕はその眼を一目見ると、竹山茂樹の眼をすぐに思いだした。それは狂人と犯罪人との中間の眼だ。次に僕の心を打ったのは、狭い額や、ふくれた頬や、短い※[#「臣+頁」、第4水準2−92−25]など、全体の丸い輪郭と、太い鼻とだった。竹山茂樹の写真の配列法に随えば、最も嫌いな部分に置かれる顔立だった。そして古ぼけた洋服に、金鎖をからませていた。
 そういう男に対して、僕がどんな感情を懐いたか、君にも想像がつくだろう。それは反感に近いとさえ云えるのだった。僕は冷決な態度をとった。先方はばかに丁寧に、わざわざ卑下してるかと思えるほど卑屈だった。然しそれにも拘らず、話は直ちに用件にはいっていった。実子の竹山茂樹に一目逢いたいとの一心で生きているので、もし御存じだったら願望をかなえさして頂きたいと、そういうのだった。
 それから彼は現在の境遇を話した。大阪で女を殺害しかけてつかまった時、その少しまえに犯した詐欺まで発覚して、三年半の刑期をつとめなければならなかった。出所後
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