正直だと思うか、それとも、少し変だと……。」
良一は返事に迷った。そしてふと、川村さんに対する伯父の言葉を思い出した。
「尤も、変だと云えば、僕だってそうだが……。正気の沙汰じゃないと云われたことがある。」
「誰にですか。」
「たしか、君の伯父さんだった……そしていろいろな意見をされた。」
良一はぽかんとした。川村さんは苦笑していた。
「実は……今日、伯父に相談にいってみたんです。」
「相談だって……。」
良一は仕方なしに、金策のことを伯父に頼みにいったことを、そしてうまくいかなかったことを、うちあけた。
川村さんは笑いだした。晴れやかな笑いだった。
「それゃ、駄目だよ。僕の方が先に話しちゃった後だからね。どうも、不思議なまわり合せだね。伯父さんのところへ行って、それからまた竹山に逢って……。」
川村さんは急に顔を曇らせた。そしてひどく真面目な調子になった。
「これも何かの縁だ。君にすっかり話してあげよう。だが、もう遅いし、ここの家じゃ迷惑だろうから……構やしない一緒に来給え。」
川村さんは勘定をすました。その時、女中がそっと云った。
「あの……もうじきに参る筈ですが……。」
「なにいいよ。この人と少し話があって、ほかに寄ることになったから、そちらで……。」
「では、そう申しておきましょう。」
良一は気になった。
「誰か、お連れでもあるんですか。」
「うむ……あるような、ないような……。」
川村さんは朗かに笑っていた。
五
良一がつれられていったのは、待合の一室だった。しんみりと落付いた室で、酒をのみながら、川村さんの話をきいた。
僕のつとめてる学校の教授室に、若い給仕がいた。後で分ったことだが、中学二年を卒えたきりで、長らく勉強を中絶していたところ、学校の給仕になってから、また勉強をはじめて、中学卒業の検定をとるつもりだった。隙があると書物ばかり読んでいた。
僕はその男に好感がもてた。先方でも僕を好きだとみえて、僕が著わした小さな詩集に署名を求めたこともあった。僕が時々書く詩だの随筆だのは、見当る限り読んでるとのことだった。
人間の好き嫌いというものは妙なもので、どこがどうと取立てて云うことも出来ない。まだ漠然とした気持の上の事柄だ。僕はその青年が何となく好きだったし、先方でも僕を何となく好きだったらしい。僕は週に三回きり出ていなかったが、時々話をしたり、一寸した質問に応じてやったりしてるうちに、ひどく親しい気持になっていった。
そして、一年ばかりすると、彼は前から余り快活な方ではなかったが、急に目立って、顔色が悪くなり、神経質になり、憂欝になってきた。身体を大事にするように、度々注意してやった。彼はどこも悪くないと答えて、淋しい微笑を浮べるのだった。そして休むことが多くなった。
或る日、僕は彼の様子を見てびっくりした。丁度一時間ひまがあって、教授室で書物をよんでいたのだが、その間、彼は自分の卓子に両手をくんでよりかかって、じっと眼を宙に据えている。顔は総毛だって、さわったら石のように冷たそうだ。いつまでも同じ姿勢で動かない。その、宙に据って何にも見えない眼には、不気味な光がただよっている……。
僕はたまらなくなって、どうかしたのかと尋ねた。彼はけげんそうに顔を見上げたが、ふいに、にっこり笑った。そして、もう何もかも駄目だと云う。その笑いかたと言葉とがまるでちぐはぐで、調和がとれないんだ。心配なことがあるなら、うちあけて話してみないかと、僕はやさしく云ってやった。彼は暫く考えていてから、急につっ立って、聞いて下さいますかと、烈しい語調なんだ。
その夕方、約束どおり落合って、僕は彼を鳥屋に案内して、夕食をおごってやりながら、話をきいた。話の調子が少し変で辻褄の合わないところもあったが、大体次のようなことだった。
十年ほど前まで、彼の家は相当に裕福で、父親は或る百貨店の係長の地位を占めていたが、ふとしたことから、赤坂の芸妓に深くなって、めちゃくちゃな生活に陥ってしまった。そしてせっぱつまった揚句、その女と大阪に逃げだして、一年ばかりどうにか暮していたらしい。それから、よく分らないが、その女がまた芸妓に出たとか、或はどこかに勤めに出たとか、まあ堅気な暮しはしていなかったらしいが、情夫をこさえて、彼を顧みなくなった。彼はかっとなって、女を殺そうとして、仕損じて、つかまった。
そうした父親の行跡が、彼と彼の母親の生活に、どういう影響を与えたか、君にも大凡想像出来るだろう。負債と屈辱……、肩身せまく世間を渡りながら、彼は中学二年までは修了したが、もう後は学業も続けられなくなった。夜逃げ同様にして何度も移転した。それでも、母親と彼とは一緒に住み続けた。別々の暮しが出来なかったのだ。そうし
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