には、金銀や宝ものがいっぱいつまっていたのです。
 梅《うめ》の木のわけが、ようやくふたりにもわかりました。両親は家のためを思って、万一の時の用意に、そこにたくさんの財産を埋めておいてくれたのです。
 それで、ふたりは助かりました。屋敷《やしき》も売らないですみました。借りたお金もはらうことができました。兄弟のせわになった人たちも、みな助かりました。米や芋《いも》がたくさんとどいていますし、それを、貧しい人たちは、ただでわけてもらうようになりました。そして、ひでりのあとの翌年まで、皆は食物に不自由なくすごせました。
 こうして、堅田《かただ》の顔長の長彦と顔丸の丸彦とは、みんなから神さまのようにあがめられました。人々はいろいろ相談して、顔長の長彦には、支那《しな》からきたというみごとな紫檀《したん》の机を、顔丸の丸彦には、琉球《りゅうきゅう》からきたという大きな法螺《ほら》の貝を、記念の贈りものにしました。どちらも、そのころでは珍らしい品物でした。
 顔丸の丸彦は、法螺の貝をたいへんうれしがって、野原や山を吹きならして歩きました。顔長の長彦は、紫檀の机に寄りかかって、庭の梅の木を見なが
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