ちこちで船をやといました。それから水夫たちをあつめ、丸彦が隊長となって、また北の国へ、米や芋《いも》を買いにいきました。そしてこんどは丸彦も、用心に用心をかさねましたので、ぶじに荷物を運んで来ました。
 そうした旅を三度くりかえしました。そして米や芋《いも》が、山のようにたくさん集まりました。
 それを見て、心配していた人たちは、ようやく安心して、喜びあいました。

      二

 みんなが喜んでるうちに、ひとり、堅田《かただ》の顔長の長彦は、だんだん考えこんできました。しだいにお金に困ってきたのです。
 大津の町で借りあつめたお金は、はじめ相談した人たちが出しあったお金よりも多かったほどですが、湖水《こすい》に沈んだいくつもの船の持ち主に、その船の代をはらったり、それから三度も、米や芋の買い入れのために、たいへんなお金を使ったので、すぐに足りなくなりました。おもだった人たちのうちには、きのどくがって、お金をいくらかでも出そうという者もありましたが、多くは、はじめの失敗にこりて、だまっていました。
 そこで、顔長の長彦は、三日三晩、考えつづけて、弟にいいました。
「たくさんの貧しい人たちのためになることだから、私は決心をした。大津の町のお金持で、この屋敷《やしき》を売ってくれるなら、お金はいくらでも出そうという人がある。それも、こちらでお金ができたら、いつでもまた買いもどしてよいという約束だ。だから、一時、この屋敷をお金にかえたいと思うが、どうだろうか」
 顔丸の丸彦は、野原や山をとびまわることがすきで、家や屋敷《やしき》などはなんとも思っていませんでしたから、すぐに答えました。
「そうです。お金にかえておしまいなさい。またあとで、買いもどせばよろしいでしょう」
 それで、すぐに話はきまりましたが、ただ[#「ましたが、ただ」は底本では「ましたが。ただ」]一つ、困ったことがありました。
 その屋敷の庭のかたすみに、大きな梅《うめ》の木が一本ありました。その梅の木について、ふたりのお母さんが、亡くなる時、ふたりを枕《まくら》もとに呼んで、くれぐれもいい残したことがありました。
「あの梅の木は、とてもたいせつな木です。それですから、もしもよそへひき移るようなことがありましたら、あの木だけはかならず、ほかの人にたのまず、あなたたちふたりで、よく掘りおこして、枯れないよう
前へ 次へ
全12ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング