った」
しかしもう、馬も男も、どこかへいってしまって、姿は見えませんでした。
丸彦は、そそっかしいことをしたとくやみながら、家の方へかえっていきました。
野原をよこぎり、小さな丘をこえて、川づたいに帰っていきますと、その川の岸の柳のこかげに、なにか大きなものがつっ立っていました。もう、うす暗くなっていましたが、よく見ると、それが、さっきの馬だったのです。道に迷って、川岸にぼんやり立ちどまっているのです。
男の姿はどこにも見えませんでした。
「せめて、馬でもつかまえてやろう」
丸彦はそういって、しずかに歩みよって、まんまと馬をつかまえました。
つかまえてみると、なおさらりっぱな馬でした。これほどの馬は、どこをさがしても見つかりそうもありませんでした。
丸彦はすっかりうれしくなりました。その馬にのり、法螺貝《ほらがい》をこわきにかかえて、家へ帰りました。
そして丸彦は、長彦にあって、馬をいけどりにしてきたわけを話し、馬のじまんをしました。
長彦はいいました。
「なるほど、これはりっぱな馬だ。しかし、この馬をつかまえてきたことが、よいことになるか、悪いことになるか、いっそう用心しなければなるまい」
「私がひきうけます」と、丸彦はいいました。
丸彦はただ、馬のことがうれしくてたまりませんでした。そして、観音様《かんのんさま》のお堂のそばに、りっぱな馬ごやをつくりました。
五
それから、しばらくたちますと、なんとなく、怪《あや》しいことが目につくようになりました。
観音様にお詣《まい》りにくる人たちの中にまじって、目つきの鋭い、へんな男が、こっそりようすをうかがってるようでもありました。夜なかに、観音様のお堂のあたりで、物の音がすることもありましたし、馬がにわかに動きまわることもありました。庭のあちこちに怪しい足跡がついていることもありました。
そして、ある夜、おそく、馬ごやの中で、馬がひどくあばれだしたようで、それからまた静かになりましたが、かねて気をつけていた顔丸の丸彦は、そっとおきあがって見まわりにいきました。
月が出ているはずでしたが、霧《きり》のふかい夜で、うす暗くぼうっとしていました。すかしてみると、馬ごやの前に、黒いみなりの男が立っていて、馬ごやの中をのぞいていました。
丸彦はかけよるが早いか、男の頭を、鉄づくりの鞭
前へ
次へ
全12ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング