が独自の存在を失ってくるのは、当然の結果であろう。之に反して長篇は、普通の人物の普通の場合を取扱っても、それが比較的全幅的に書き生かされる時、それ自体の限定によって、より多く特殊的となる。そしてその人物は、独自の存在を得る。
 固より、人物を生かすこと、人物に独自の存在を得させることが、文学唯一の務めではない。現代の文学は、実在的人物の描写よりも、自己表現ということが、より重要な事柄となっている。広汎な意味での自己を、もしくは自己のうちにある何かを、具象的に表現するということが、最も重要な問題となっている。然しながら、具象的に表現されたものそのものは、独自の存在を持つべきだということが、具象的表現の内在的目的であって、表現されたものそのものは、作品の中では、結局一個の人物ということに帰着する。
 作者によって表現され独自の存在を与えられたかかる人物に対してこそ、実は、最も根本的な無慈悲な解剖や批評がなされるのである。例えば、アリサやミシェルやラフカディオなどは、アンドレ・ジィドの精神の一部を代表するものではあっても、各自に独立した一の人物として生きているのであって、これに対して吾々は忌
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